
11/14(金)からD&DEPARTMENT(以下D&D)東京奥沢店で『USED G MARK EXHIBITION』が行われている。そのオープニングでD&D代表ナガオカケンメイ氏と財団法人日本産業デザイン振興会理事、青木史郎氏のよる「USED Gを考える」という興味深いトークショーが開催された。「グッドデザインの文句を言うこと、早3年」のアンチGマークの旗手VSそのGマークの総本山の大将というプロレスの因縁のような構図、好奇心がそそられないわけがない。この討論はナガオカ氏の積年の思いが詰まったストレートな問いかけに対して、青木氏の言い訳じみた弁明が交錯して進んでいくのだが、結果的にGマークの不透明で、矛盾を抱えた弊害を露呈しつつ、それを危惧する二人によって建設的なビジョンが提示された、有意義な討論となった。その臨場感をレポートしてみたい。
その前に、我々が普段目にするGマークには、利用料が課金されていることをご存知だろうか。その値段は一年間10万円~100万円で、それが高い安いかは別として、企業はお金を払ってまでもGマークを露出させる。それには、僕も知らなかったこんなデータがあるからだ。財団法人日本産業デザイン振興会の公式な資料によると、Gマークの認知率は全国平均で約70%、しかも都市部・高収入・高学歴層ではほぼ100%という驚異的な認知率を誇っている。また、そのうち約40%の人が、「買い物の際Gマークを参考にする」と答えている。つまりGマークは消費活動を左右する重要な判断要因であり、だから企業はこぞってGマーク受賞の為の努力を惜しまないのである。(実感から言わせてもらうと、かなり大げさな数字ではないかと思う。)
さて、こんな偉大なGマークに対して、ナガオカ氏は何を不満に思っているかというと、「Gマークの審査なんて、どうなっているか訳がわからん」という不透明さと、「Gマークなんて取っても、売り方がないから売れません」という不十分なサポート体制の二点である。言い換えると、一つ目は「政治的役割」、もう一つは「ビジネス的役割」であり、Gマークを巡る討論は必然的にその二つの軸を巡って展開していく。
まず、「政治的役割」に関して約半世紀もの間、国が「良いものは何か」を定義してきた歴史に触れる必要がある。1957年、デザインという言葉すらなかった時代に、通商産業省が「国をデザインで豊かにしよう」と創立された事業であり、今は民営化され財団法人である。このトピックに関してナガオカ氏はストレートにこんな質問を投げかけた。「政治が働いてませんか?」ここで言う、政治とは作為的な作用や密約がありませんか?という意味だ。これに対して青木氏は「ある商品がボーダーラインにある場合、Gマークをそれに与えることによって、その商品や周辺の産業が活性化されるのであれば、何年後カへの期待としての政治的判断のメリットもある」と言い切った。一瞬僕はびっくりした。何故ならそれは「イイ」の尺度を国民に啓蒙しようとする大義名分があるからだが、その不透明さ、作為的操作を潔く認める発言ととられかねない。ただ、今の審査員に関しては深沢直人さんや黒崎輝男さんなど影響力が強く、面白いメッセージをたくさん発信している、ある意味信頼できる審査員が揃っている。だから、グッドデザインの定義という崇高で壮大な命題において、そういった恣意的なニュアンスは完全に消し去れないだろうし、国民はむしろそこから先見性を感じればいいと思うので僕は好意的に解釈したが、みなさんはどうだろうか。
次に「ビジネス的役割」に関して、ナガオカ氏は「『トロフィーあげて、はいサヨナラ』という無責任さには憤りを感じる。売り方を面倒見るなどサポートはないのですか?」と問いかけた。これは日本産業デザイン振興会が今策定しようするGマークのドメインへの問いかけである。またナガオカ氏は続けて「インハウスデザイナーがGマークをどうでもいいと思っている」と指摘し、受賞者が喜びを感じないねじれの現象を体系的に変える必要だあると言及した。これに対して青木氏は仕掛けるための投資ができない“財団”という立場と、長い歴史の弊害といえる年代別の断層的なGマーク観に、どうしようもないジレンマを感じつつ、「Gマークという枠組みとお金を投資する株式会社で何か新しいことができないか。我々は手を上げてくれるのを待っている。」と答えた。つまり、Gマークはうまく使われるべきという立場だ。これはナガオカ氏が今回主催した『USED G EXIBITION』が帰納している、Gマークと使い方のアイデアの融合のいい例であり、D&Dのグッドデザイン受賞もその閉ざされた過去との決別と解釈しても良いのかと感じる。このような白熱した議論の末、この終わりなきトークショーは限られた時間を満喫して終了した。
ナガオカ氏の挑戦的な活動は「キレイゴトを何とかしたい」という気持ちに由来している。それはエコ商品の氾濫が逆に地球に悪影響を及ぼすような、あるいはモーターショーのコンセプトカーにはエンジンが搭載されてないというような、上っ面の欺瞞的な商業主義へのアンチテーゼなのだろう。その「キレイゴト」によって覆われた見えない視界を晴らすにはどうしたらよいのか、常にナガオカ氏は模索しているのだ。そしてナガオカ氏に「キレイゴト」に映っていたGマークを覆ってた霧は、ナガオカ氏の熱い思いによって、多少晴れた気がする。奥沢からの帰りの自転車をこぎながら僕は清々しさを感じていた。
グッドデザイン賞はグッドライフにつながる広義なデザインの象徴だ。本当に良いものとは何か、それに尺度を求める必要性を議論するのではなく、重要なのはグッドライフな何か、それを実現するデザインとは何かではないだろうか。そしてそれこそがデザインの内包する最も人間的な可能性である。このトークショーが存在することができた今年を境に、今後のGマークは確実に変わっていくだろう。そして、100%の人が「消費」の判断材料だけではなく、「消費者からのグッドライフデザインへの投資」の判断材料としてユニークな存在になって欲しい。
関連記事 コンナモノマデGOOD DESIGN
http://www.whynotnotice.com/blog/yoshi/archives/000026.html
04.01.05 追記
ナガオカケンメイ氏対川崎氏|大阪の陣
ナガオカ氏同様、巨塔Gマークの全貌が見えてきた?