
青山ブックセンター。
そこに行けば必ず何かがある場所だった。デザインやクリエイティブの文脈に沿って整理されたディスプレイに、本という肉厚で存在感のあるメディアのコレクタブルな楽しみを教えてくれた。大学時代のバブリーな時期は、ABCに寄ってはDGVのハードカバーを買った。自分へのご褒美としてAttikの1万5千円の本も買った。ヨゼフ・ミューラー・ブロックマンも英語が読めないくせに買った。そこにいけば、普通の大学生が美的な勉強をするためのまばゆい教科書があった。今日はタイポグラフィ、今日は色彩、今日はインタラクション。買うだけでデザイナーに近づいてる気がした。
ただ、いつからか気がつくと、洋書や雑誌はシブヤのタワレコで買う機会が増えていた。体系が見えるようになると、欲しいものがあらかじめ決まっていたりするからかもしれない。単純に、品揃えでタワレコが追いついたからかもしれない。hacknetやofr publicationsやmagmaで新刊をチェックしながら、最終的にリーズナブルなアマゾンで買う機会も増えた。確かにABCは自分が本を買う場所ではなくなっていた。
それでも、僕はABCに足蹴よく通った。六本木で待ち合わせのときは一時間前にABCに行って立ち読みするのが常だった。新宿ルミネではスラムダンクを読破した。夏の表参道の買い物では疲れたらABCで涼んだ。でも、ふと思った。僕にとってのABCとは、単なるカタログだったのではないか?
ただ、そのカタログは常に刺激的なものだった。タワレコよりも流れが速かった。ハックネットよりもボリュームが多かった。予期せぬ出会いがABCにあった。そこに行けば、必ず何かがある場所だった。求めていたのはそれだったし、デザインの着想というもっとも大切なプロセスをABCは体現していた。
青山ブックセンターのないトーキョーよりも、青山ブックセンターが倒産してしまうトーキョーに、どんな分析が、どんな教訓が得られるだろう。GASの中目黒店がなくなったときも、デザインプレックスが休刊したときも、同じ問答を自分の中で繰り返す。デザインを持続可能な産業にすることはできるのか。果たして自分がニッチなだけなのか。違う業態で残る可能性はなかったのだろうか。デザイン産業こそ、イノベーションが必要なのではないだろうか。
以下、それぞれのABC
ABC by hhさん
http://hh.typepad.com/lifelog/2004/07/abc.html
青山ブックセンター by カトウさん
http://www.kiryuusha.com/blosxom.cgi/books/071704a.html
トラックバックできないサーバがこういうとき世知辛い。
Posted by YOSH | TrackBack