このTシャツは架空のカフェDRUCKER CAFEのスタッフTシャツ。
Tシャツ・コンペティション・サイト、threadlessに応募してみました。
ピーター・F・ドラッカー、言わずと知れた生ける知の巨人。マネジメントを経営の標準的な概念に押し上げ、ナレッジワーカーによるネットワーク型社会の到来を予見し、「NPOこそ答え」と非営利活動の社会への有益性を主張したドラッカー。今まさに肌感覚で起こっている激動の新しいパラダイムが、何十年も前に、彼の頭の中で出来上がっている。それは予言でもましてや預言でもなく、ただ単に彼には「変化が見えている」、その目があったからなのかも。(ドラッカーの訳を多数手がけている上田惇生先生の『なぜ、ドラッカーなのか、ドラッカーとは』というお話を参考に。)
それでは、なぜ、ドラッカーカフェなのか、ドラッカーカフェとは何か。そもそもこのアイデアは、40歳手前の会社の役員との話から思いついた。単純に、ドラッカーについて、あるいはそこから広がって、ナレッジワーカーのためのワークプレイスとはとか、ビジョンがいかに大切なのかなど、カフェでランチ中に盛り上がった。もともと、オフィス改造の旗振り役と、ファシリテーターという関係もあって、そういう話はしていた気もするけど、ドラッカーという枠組みの中で、世代の違う二人が盛り上がれたのはとても貴重な体験だった。そう、なぜドラッカーなのか、それは彼が1909年生まれの95歳いまだ健在、つまり長生きをしてること、なのだ。
僕よりも上の世代はもっとリアルにドラッカーの前衛的で馴染み難くも興味深い肌感覚に、尊敬と畏敬の念を抱いたことだろう。元はナチスの分析から始まり、マネジメントの概念が広がり、ナレッジワーカーの時代にさしかかり、断絶の時代のクライマックスと次の社会の夜明けを迎えている。戦後から僕らの世代まで、各世代のそれぞれにおけるドラッカーという相対性はありつつも、ある共通したカリスマティックな像があるのは気のせいではないはず。彼は「先を行く」人間=つまりイノベーターの理想的なアイコンなのである。
ドラッカーカフェでは、ドラッカーの名の元に様々な世代が集い、経済、哲学、教養、さまざまなテーマを議論し、われわれは時がたつのを忘れる。そして、世代を超えたフレッシュな議論の中から、イノベーションは生まれるのではないだろうか。そのカフェはまさに現代のレ・ドゥ・マゴ。そこにいけば現代のピカソが、アポリネールが、サルトルが、カミュが熱く議論を交わしている。それをいまのトーキョーにつくったら面白いのではないか。
最近夜通しで語り合って気付けば朝を迎えることが増えた。そんな日は眠いはずなのに、逆に気が満ちて仕方がない。頭の端々がつながってゆき、それって今すぐできるんじゃね?と感じてくる。ドラッカーのネクスト・ソサエティを、まさに僕らの世代が間違いなくつくってゆく。僕の中ではそんなひとつひとつの場が、無形のドラッカーカフェだったりする。
ちなみに上田先生のサイトにドラッカーの近況を知ることができます。元気そうで何より。歴史的な人とともに生きていることを誇りに感じます。本当にオープンしたら、衛星でつないでみたいなぁ。
Posted by YOSH | TrackBack