
いよいよFITCも最終日、アオイケさん、yugoさんが登場。会場まで初めて地下鉄を利用して会場へ。最後までよい天気に恵まれ、外を歩くのが清々しい。やっと落ち着いて街並みを見れる心の余裕。ある芸術家がニューヨークに疲れて移ってきたやら何やら、帰ってきてから様々なテクストでやたら目に付く「トロント」という空間にいくばくか呼ばれた感覚になったのもこの頃。とはいえ、明日早くにはニューヨークへ移動という強行軍。

いよいよアオイケさんのセッションがスタート。全て英語。CATMAN、ペレストロイカからソクラテスシリーズまで、時に知的、時におバカな洗練されたウィットネスに魅入る。LIMITED(=効率よく楽する?)というプレゼンながら、アウトプットの作りこみはこの上なくハンパないのだった。
そして、大トリyugoさんのセッションでは、「ロジックのコンテクストを、シフトしよう」という提案とともに、「特定の活動に対して、特定の適した Form を与える。 人から聞いた言葉だけど、"Form giver" でありたいという感じかな。」という言葉がとても印象的だった。「フォーム・ギヴァー」とは敬愛するsuperfamousのtitleタグにも見受けられる、どうやら建築におけるル・コルビジュエに向けられた「形態の魔術師」のような意味合いだったり、空間デザインにおける「アフォーダンスを与える主体」に近い概念のようだけど、そこに徹しているからこそ用意された新しいロジックに紡がれた Form は、華麗なアフォーダンスを帯びてわれわれを魅了するのだろう。フラッシュの方向性を結果的に進化させた張本人として、クリエイティブ・フロンティアに立ち向かうその姿はマイペースながら凛々しく、「オレもやってやらぁー。」と刺激される Good なものなのでした。その場で宣伝していた「自社サービスプロジェクト」の2ヶ月以内リリースがホントに待ち遠しい。

カンファレンスも無事終了し、怒涛のインプットの連続に反芻する余裕も無いまま、夜から “ActionScriptの神”コリン・ムークのおうちでホームパーティという幸福。WEFAILTシャツを身にまとい出迎えてくれた小柄なコリン。驚いたのは部屋の一面に飾られた色鮮やかな絵画!ジョシュア・デイビスもそうだけど、際立つ審美観から生み出されるプログラミングだからこそ、美しいアプリケーション体験が生み出されているのだろう。ここでもさまざまなクリエーターが交錯し、名残惜しいピースな夜が過ぎてゆく。
こうしてFITCを巡る濃密な3日間は幕を下ろしたが、グラフィックデザインやビジネスモデル、マルチメディアユースにいたるまで議題は非常に多元的だったといえる。それはフラッシュというひとつのクリエイティブ・ツールが、その可能性と魅力で各分野のいろいろな才能を惹きつけるプラットフォームへと進化してきた証だろう。3日間のうちに幾重にも重なったインプットは、ウェブクリエイティビティに関わるものそれぞれにとって、「ウェブのその先」を描くための示唆に富むヒントとなったにちがいない。(以上SHIFTよりコピペ)晴れて、僕にとっても、そう。
「カンファレンスの機能って何だろう?」と前のWhat's Good Conference @ 香港にまつわるセミナーで戸惑った記憶があるけども、今回は自称日本をレペゼンするメディアとして=(コミットする側)としてFITCに関わって、その「移動と集合」、それ自体に孕むクリエイティビティの有機的な連鎖が至るところで創発される場なのだとリアルに理解できた。「今々、おれおれこうゆうことやたいわけさ」と嬉々と語るスピーカーたち、才能溢れるクリエーターが交わるそこかしこで広がるデザイン談義は、どうしても聞き耳を立ててしまうのだけど、ここではそれは決してオーディエンスからは遠い声ではない。
とはいえ、憧れのヒーローたちと直に相まみえ興奮するも、自分との歴然とした“差”を感じてしまう挫折にも似た感覚、加えて拙い英語で自分の思いを十二分には伝えきれないまどろっこしい悔しさ、それらを否応なく突きつけられた「集合する場」としてのカンファレンス体験を振り返る。当時の日記を今読み返しても、その焦燥はじんわりと伝わってくる。それでも一気に体系が見晴らせたこと、そうはいっても彼らと案外近いところにいること、そしてウェブ・クリエイティビティの向いている方向に、自分たちもシンクロしていることを確認し、今となっては発起する。yugoさんの言ってたことが少しずつリアルになり、誰しも「これからが面白くなる。」と口を揃える2005年4月。強烈なインプットはしばし自分を凹ませるが、その未知なる凹みとの闘いこそ成長の証なのだった。
ありがとうトロント!そして、明日からは錯乱するニューヨーク。
Posted by YOSH | TrackBack