2005年06月08日
2005/05/29 万博2日目 - 長久手会場

bp2_01.jpg bp2_02.jpg
漫画喫茶で夜を明かし、始発で愛・地球博へ向かう。片手には「愛知・窮迫」を危惧する「虚飾の愛知万博」という怪しげなペーパーバックを携えて。原研哉さんの「あったかもしれない万博」はここには無く、大貫卓也さんの構想にあった虫キング的リアルキャラクターは、キッコロとモリゾーというポンキッキ的ポップアイコンに変わってしまった。何から何まで突っ込みどころ満載の、「自然の叡智」を謳う21世紀型万博は、宿命的矛盾を覆い隠すハリボテ空間をどのようにつなぎ合わせているのだろうか、それこそが今回の旅の焦点だ。

いつもの万博八草からは、駅間が近すぎて時速30キロのリニアモーターカーリニモ(しかも激混み)か、バスを利用して長久手会場へ。今日はモリゾーゴンドラは稼動中。梅雨入り前の好転に恵まれた5月最後の週末に、会場前から行列の興奮が伝播してくる。スタッフパスで開場30分前に入場してみると、中では今日の闘いに向けた作戦会議がそこかしこで展開中。




bp2_03.jpg bp2_08.jpg
誰もいない万博を手持ち無沙汰に駆け巡る。ひたすら無人のゴンドラは「21世紀少年」的異空間の風景を伝えていた。そして不安げに門が開く。遠く大勢の足音が段々と近づいてくる戦場。その後グローバルコモン1/アジアのブースに避難しようと駆け込むも、この界隈にはまだ人はまばら。ブースすら電気がついていない。ここらへんで「虚飾の愛知万博」を読みきり、余計な知識を入れ込みながら見渡す史上最多の参加国のブースは、それっぽいハリボテとお土産による観光地的観光空間を演出し、万博で世界旅行という僕たちのささやかな期待にこたえてくれる。大体はそんな感じながら、インド館「菩提樹の下で」展に息を呑む。仏陀が悟りを開いた大らかな樹をモダンに表現するという大それた挑戦は、見るものを引き込む螺旋構造も合間って、美しくデザインされた空間に昇華されていた。やるなぁ、インド。




bp2_09.jpg bp2_10.jpg  
続いて足を運んだのはグローバルコモン2/アメリカ大陸。わくわくのアメリカはセグウェイでお出迎え。10分程度の行列ながら、全パビリオンでも唯一、入場時に金属探知機による荷物検査が行われる。ここでは非常事態下のボディチェックもエンターテイメントのレトリックなのだ。中に入ると、「世界新時代への幕開けを告げる最適の人物」としてホスト役に選ばれた不朽の精神の持ち主(そして「100$紙幣」の強烈なイコン)ベンジャミン・フランクリンの像が凛々しくそびえる。片言のスタッフの案内で巨大スクリーンに案内され、映像と共にベンチには振動が走り、水滴が飛びちるその体験は、ディズニファイドされたアトラクションそのものだった。




bp2_11.jpg bp2_12.jpg
世界をつなぐ環状道路、グローバル・ループは全長約2.6km、「バッテリー駆動を採用して環境への負担を軽減している」グローバル・トラムが、そこのけそこのけ人を掻き分けて走っていく。噂の行列のできるコンビニには、やっぱり行列が出来ていた。もうすぐお昼。




bp2_13.jpg bp2_14.jpg
BeGoodのナチュラルフード・カフェを目指し、地球市民村へ向かう。「市民参加」は今回の万博の大きな売りの一つで、NGO/NPOの小さなビレッジが用意されている。ただ、そこに行くには小遊園地を抜けてゆき、凶暴な動物たちの危険をかいくぐっていかなくてはならないのだが。




bp2_15.jpg bp2_17.jpg
ナチュラルフード・カフェは、12時過ぎには席がなくなるくらいの大盛況!ベジタブル・ピザも激ウマ。雑然としたメイン会場から離れて和やかなしばしのチルアウト。パーマカルチャーも実践されているけど、どれくらい一般の方々は気に留めてゆくのだろう?




bbb.jpg bp2_20.jpg
竹で編みこまれた甲羅のような長久手日本館、フミヤによる癒しのモニュメント「大地の塔」がある「日本ゾーン」になだれ込む。いずれも数時間待ちという大盛況。「太陽の塔」と決定的に対をなす、直線的で土色の愛・地球博の象徴は、何かが置かれるのをひたすら待つ土台か、あるいは煙の見えない煙突か、青空を鋭利に切り刻むようにそびえる。中の「誰も見たことがない想像を超えた空間」を演出する世界最大の万華鏡は、残念ながら目撃できず。




bp2_21.jpg bp2_22.jpg
そして最大のハイライト(=ああ!いってよかった、万博!の意)、シルヴァン・ドゥビュイソンプロデュースによるフランス館へ。ソーシャル・ビジュアライゼーションの殿堂であり、ソーシャル・インタラクションの立体装置は、社会参加を気持ちよく強要する。躍動感のあるショッキング映像のコラージュ「未来に将来はあるのでしょうか?」は、日本人の知らない世界の現実をつぶさに突きつける。見渡すと、呆然と立ち尽くす人々、そのラディカルな処方箋は、リアルに響いているのだろうか。




bp2_23.jpg bp2_25.jpg
アフリカゾーンの小脇に、いきなりの澤田知子さんが。その後グローバルコモン4/ヨーロッパ小国へ。オランダ、北欧、スイス、ベルギー、リトアニアと、小じんまりながら小洒落たパビリオンが続くストリート。「水」をテーマにしたオランダ館は、床に映し出された水面の映像が流れる。農地を切り裂く水路/ボルダーの線が、モンドリアンまで突然変異を起こすミューテーション・ムーヴィ。




bp2_27.jpg bp2_28.jpg
この時まだ2時過ぎ、それでもなぜかお腹いっぱいで気持ちは家路に向いていた。キッコロゴンドラで望む景色に、未来の廃墟を重ねてみる。人々はそれでも楽しそうだ。満員電車さながらのお土産屋を抜け出し、名古屋駅へ急ぐ。駅前の本屋で内沼君に薦められた『万博と戦争』を購入し、早めた新幹線の発車まで読み込む。

45年の戦争と70年の万博という、狂騒的な勢いの文脈に欠くことのできない、敗戦国としての日本人的パラダイムに戦慄が走る。95年の震災をテレビで見た、身に覚えのないようであるような奥底にある感情。それほどに大阪万博のそれぞれのパビリオンは色濃くエピソードに富み、前衛が大衆に近づいたあの日のイメージ、『日本列島改造論』から今までポリティカルに受け継がれている公共事業型経済イデオロギーへの決定的なターニングポイントを、必死にビジュアライズしていたのだろう。

ならば、「新住事業」(=心中事業?)という20世紀的事業から始まった2005年の愛・地球博は、あらゆる現代の矛盾をビジュアライズする舞台装置といえないだろうか。それは新しい世界の創造のために歴史的に不可欠な、前時代の最後の確認作業。「人生一度は万博だ。」の類まれな響き、全体に漂う空虚感、様々な葛藤とジレンマをこれ見よがしに晒すその太っ腹ぶりは、あまりに逆説的なだけに一見の価値がある。「あったかもしれない万博」という余地すらも、すべてシナリオ通りだったのかもしれない。

逐一つっこみが入る一連の万博体験を、ぜひあなたも、人生一度でいいから味わってみてはいかがでしょうか。一度でいいから。

Posted by YOSH | TrackBack   


「LANDMARK [憧れの場所] 」 の他のエントリーもどうぞ!



↑ページの先頭へ