パブリック・スペース - 岡崎乾二郎
自己の外部から訪れるかのような涙をそのまま受け入れることができるのなら、他者の涙をも同じように自分のものとして受け入れることができるはずである。涙も(笑いも)、究極的には、いかなる主体にも属さず、回収することは出来ない。ゆえにそれは誰のものでもありうる。それは決まった場所を持たず、主体を含めた、あらゆるテリトリーから流出し、越境し伝染してゆく。(…)もし涙を流すように生み出された場所があるのなら(そこはつねに管理を超えた、過ち、悲劇としての場所である)、そこがパブリックな場所である。
→伊勢神宮を謳った西行の一句から紐解くパブリックスペース(と芸術)。あらゆるテリトリーを越境するノマド的な共時性が前提となったときに、誰のものでもない感情を共有するための場所こそ、真に<共>的なスペースなのだろう。
「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
Posted by YOSH
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