
Brand Tagsは、企業のブランドイメージをタグ付けするサービス。ロゴをみて、最初に浮かんだ言葉を入力するというシンプルな仕組みで、その結果がタグクラウドで表示されます。
“green”と”green wash”が共存する上の画像はbpのスクリーンショット。またappleでは、”innovative”、”awesome”、そして”expensive”がはち切れんばかりで、いろんな立場から見た多面的なブランドイメージに、思わずはっとしました。
もちろん自分のコメントも入力できますし、タグから当てよう!というクイズや、ブランドイメージで勝負するBattleモードなんかもあって、自分の感覚とのギャップがあって興味深いですね。
NO LOGOからはや数年、氾濫から偏在、ますます見えなくなる広告コミュニケーションによって、僕たちの無意識は相当いろんなものを刷り込まれている。このプロジェクトはそんな時代の傾向に対する、ちょっとした不意打ちなのかもしれません。

漫画喫茶で夜を明かし、始発で愛・地球博へ向かう。片手には「愛知・窮迫」を危惧する「虚飾の愛知万博」という怪しげなペーパーバックを携えて。原研哉さんの「あったかもしれない万博」はここには無く、大貫卓也さんの構想にあった虫キング的リアルキャラクターは、キッコロとモリゾーというポンキッキ的ポップアイコンに変わってしまった。何から何まで突っ込みどころ満載の、「自然の叡智」を謳う21世紀型万博は、宿命的矛盾を覆い隠すハリボテ空間をどのようにつなぎ合わせているのだろうか、それこそが今回の旅の焦点だ。
いつもの万博八草からは、駅間が近すぎて時速30キロのリニアモーターカーリニモ(しかも激混み)か、バスを利用して長久手会場へ。今日はモリゾーゴンドラは稼動中。梅雨入り前の好転に恵まれた5月最後の週末に、会場前から行列の興奮が伝播してくる。スタッフパスで開場30分前に入場してみると、中では今日の闘いに向けた作戦会議がそこかしこで展開中。

誰もいない万博を手持ち無沙汰に駆け巡る。ひたすら無人のゴンドラは「21世紀少年」的異空間の風景を伝えていた。そして不安げに門が開く。遠く大勢の足音が段々と近づいてくる戦場。その後グローバルコモン1/アジアのブースに避難しようと駆け込むも、この界隈にはまだ人はまばら。ブースすら電気がついていない。ここらへんで「虚飾の愛知万博」を読みきり、余計な知識を入れ込みながら見渡す史上最多の参加国のブースは、それっぽいハリボテとお土産による観光地的観光空間を演出し、万博で世界旅行という僕たちのささやかな期待にこたえてくれる。大体はそんな感じながら、インド館「菩提樹の下で」展に息を呑む。仏陀が悟りを開いた大らかな樹をモダンに表現するという大それた挑戦は、見るものを引き込む螺旋構造も合間って、美しくデザインされた空間に昇華されていた。やるなぁ、インド。
続いて足を運んだのはグローバルコモン2/アメリカ大陸。わくわくのアメリカはセグウェイでお出迎え。10分程度の行列ながら、全パビリオンでも唯一、入場時に金属探知機による荷物検査が行われる。ここでは非常事態下のボディチェックもエンターテイメントのレトリックなのだ。中に入ると、「世界新時代への幕開けを告げる最適の人物」としてホスト役に選ばれた不朽の精神の持ち主(そして「100$紙幣」の強烈なイコン)ベンジャミン・フランクリンの像が凛々しくそびえる。片言のスタッフの案内で巨大スクリーンに案内され、映像と共にベンチには振動が走り、水滴が飛びちるその体験は、ディズニファイドされたアトラクションそのものだった。

世界をつなぐ環状道路、グローバル・ループは全長約2.6km、「バッテリー駆動を採用して環境への負担を軽減している」グローバル・トラムが、そこのけそこのけ人を掻き分けて走っていく。噂の行列のできるコンビニには、やっぱり行列が出来ていた。もうすぐお昼。

BeGoodのナチュラルフード・カフェを目指し、地球市民村へ向かう。「市民参加」は今回の万博の大きな売りの一つで、NGO/NPOの小さなビレッジが用意されている。ただ、そこに行くには小遊園地を抜けてゆき、凶暴な動物たちの危険をかいくぐっていかなくてはならないのだが。

ナチュラルフード・カフェは、12時過ぎには席がなくなるくらいの大盛況!ベジタブル・ピザも激ウマ。雑然としたメイン会場から離れて和やかなしばしのチルアウト。パーマカルチャーも実践されているけど、どれくらい一般の方々は気に留めてゆくのだろう?

竹で編みこまれた甲羅のような長久手日本館、フミヤによる癒しのモニュメント「大地の塔」がある「日本ゾーン」になだれ込む。いずれも数時間待ちという大盛況。「太陽の塔」と決定的に対をなす、直線的で土色の愛・地球博の象徴は、何かが置かれるのをひたすら待つ土台か、あるいは煙の見えない煙突か、青空を鋭利に切り刻むようにそびえる。中の「誰も見たことがない想像を超えた空間」を演出する世界最大の万華鏡は、残念ながら目撃できず。

そして最大のハイライト(=ああ!いってよかった、万博!の意)、シルヴァン・ドゥビュイソンプロデュースによるフランス館へ。ソーシャル・ビジュアライゼーションの殿堂であり、ソーシャル・インタラクションの立体装置は、社会参加を気持ちよく強要する。躍動感のあるショッキング映像のコラージュ「未来に将来はあるのでしょうか?」は、日本人の知らない世界の現実をつぶさに突きつける。見渡すと、呆然と立ち尽くす人々、そのラディカルな処方箋は、リアルに響いているのだろうか。

アフリカゾーンの小脇に、いきなりの澤田知子さんが。その後グローバルコモン4/ヨーロッパ小国へ。オランダ、北欧、スイス、ベルギー、リトアニアと、小じんまりながら小洒落たパビリオンが続くストリート。「水」をテーマにしたオランダ館は、床に映し出された水面の映像が流れる。農地を切り裂く水路/ボルダーの線が、モンドリアンまで突然変異を起こすミューテーション・ムーヴィ。

この時まだ2時過ぎ、それでもなぜかお腹いっぱいで気持ちは家路に向いていた。キッコロゴンドラで望む景色に、未来の廃墟を重ねてみる。人々はそれでも楽しそうだ。満員電車さながらのお土産屋を抜け出し、名古屋駅へ急ぐ。駅前の本屋で内沼君に薦められた『万博と戦争』を購入し、早めた新幹線の発車まで読み込む。
45年の戦争と70年の万博という、狂騒的な勢いの文脈に欠くことのできない、敗戦国としての日本人的パラダイムに戦慄が走る。95年の震災をテレビで見た、身に覚えのないようであるような奥底にある感情。それほどに大阪万博のそれぞれのパビリオンは色濃くエピソードに富み、前衛が大衆に近づいたあの日のイメージ、『日本列島改造論』から今までポリティカルに受け継がれている公共事業型経済イデオロギーへの決定的なターニングポイントを、必死にビジュアライズしていたのだろう。
ならば、「新住事業」(=心中事業?)という20世紀的事業から始まった2005年の愛・地球博は、あらゆる現代の矛盾をビジュアライズする舞台装置といえないだろうか。それは新しい世界の創造のために歴史的に不可欠な、前時代の最後の確認作業。「人生一度は万博だ。」の類まれな響き、全体に漂う空虚感、様々な葛藤とジレンマをこれ見よがしに晒すその太っ腹ぶりは、あまりに逆説的なだけに一見の価値がある。「あったかもしれない万博」という余地すらも、すべてシナリオ通りだったのかもしれない。
逐一つっこみが入る一連の万博体験を、ぜひあなたも、人生一度でいいから味わってみてはいかがでしょうか。一度でいいから。

「人生一度は万博だ。」にのせられて、朝一番の「のぞみ1号」で初・万博へ。目的は瀬戸会場、市民パビリオンで開催される地域通貨サミット。アースデイマネーがホストを務めるそのイベントは、岩手のわらび通貨から、高田馬場のアトム通貨、韓国テジョン市のハンパッLETSなど10を超える地域通貨のプレゼンテーションや、LETSの創始者マイケル・リントンさんの講演やパネルディスカッションなどが予定され、意外と情報の乏しい地域通貨の「今」を整理する上で重要な一日である。(公式レポートはコチラ)
名古屋駅で「のぞみ一号」を駆け降り、万博八草行きのエキスポシャトルに奇跡的接続。それほど社内は混み合わず、ゆっくりと40分の転寝。ごった返す改札を超えると、リニモへの壮絶な混雑が目に入る。この日は今まで出一番の大入りだったようだ。バスで10分で到着、長久手~瀬戸をつなぐモリゾーゴンドラはトラブルで運転中止ながらも、圧倒的不利な瀬戸会場にも行列ができていた。

行列を横目に、スタッフパスで入場。会場前の閑散とした瀬戸会場の木の橋を渡ると、右手には黒川紀章/日比野克彦によるコンクリートのモニュメント「天水皿」が空と交信するように佇んでいた。近づく円形コロッセオのような「市民パビリオン」を見やり、何ともいえない万博的な違和感を味わいながら会場の対話劇場に到着。

前日から入っていたスタッフと合流し、ゲストの誘導や受付の準備を手伝う。「ズバリ、あなたにとって、お金って何ですか?」という究極の問いかけを巡るアンケートにご協力いただくと、好きな地域通貨がもらえたりする。果たしてどれくらいの人が、足を止めてくれるのだろう。

午前10時、アースデイマネー理事、嵯峨さんの開会宣言でいよいよサミット開幕!第一部は「まもる、はぐくむ身近な環境~地域資源を生かし、地域を元気にするお金」と題して、その地域の特色をうまく地域通貨システムに融合した事例が紹介される。コメンテーターとして表参道のオシャレなゴミ拾い集団(そしてイケメン&イケニョ率高しと専らうわさの) greenbird の代表であり、現役渋谷区議会議員である長谷部健さんが爽やかに登壇。

最初は三重銀行と提携し、「Jマネー定期」という金融商品を発売している、三重県四日市の「Jマネー」。主婦や料理を学ぶ学生などが一日料理長を務めるワンデイシェフ型コミュニティレストランがネット中継で紹介された。また、岩手県西和賀では、雪かきや古道の整備などを手伝うと、その名も「わらび」という「わらび本位制」地域通貨をゲットできる。そして、アースデイマネーのハッタさん率いるトージバは、「種大豆本位制」だ。他にも、静岡県伊東の「温銭」、流域通貨という広がりを見せる山口県椹野川流域の「フシノ」、クリエイターがイニシアチヴをとる和歌山市の「ちゃら」などが紹介され、長谷部さんが「地域通貨は知恵が勝負!」と指摘したとおり、まさに地域の通貨をメディアに、豊かなローカリティを感じることが出来た。

東大大学院教授、丸山真人さんのビデオメッセージの合間に、急ピッチでランチ。団体客のおばちゃんたちやら市民パビリオンに出演した方々やら舞台裏は、入り乱れたカオティックな和気藹々。午後からの第ニ部のテーマは「地域通貨で気持ちを交流~人と人の架け橋になるお金」。海を越えて韓国テジョン市から地域通貨がコミュニティを育て上げた「ハンパッLETS」の羨むほどの成功例や、高田馬場の手塚プロ公認の鉄腕「アトム通貨」(紙幣がそそる!)、「しあわせ」のたまっていく様子がわかる「しあわせ交換券ハピー」、「お願いね」と「できますよ」をつなぐ「千姫プロジェクト」などが紹介される。そこには、法定通貨にはできない、温かくてオルタナティブなお金の流れがあり、コミュニティのコミュニケーションを地域通貨が支えていた。

全国の様々な取り組みが紹介が終わり、いよいよアースデイマネーの理論的支柱でもあるマイケル・リントンさんが登場!第三部は「地域通貨プラットフォームの未来像」と題したパネルディスカッション。「Eメールを想像して欲しい。それはほんの10年前までは身近でなかったもの。われわれは近いうちに、Eメールアドレスを持つようにマネーアドレスを持ち、メーリングリストをつくるように、地域通貨をつくるだろう。」と確実な未来を描いた。それを可能にするのがQ-PROJECTやCCSP.JPなどのオンライン地域通貨システム。ルームメイツで、サークル内で、普通にオルタナティブ通貨が流通する日もそう遠くない?

その頃受付では、通りがかりの子供たちからお年寄りまで、賑わいを見せていた。アンケート用紙が所狭しと張り出されたボードはとてもカラフルで、内容も非常にユニーク。それでも「お金とは、生きていくために大切なもの」という意見が圧倒的だったのは、考えさせられた。「世の中がよくなるような、お金の稼ぎ方も重要だなぁと思います。」

地域通貨どっぷりの亦とない一日は、いよいよ第四部「国民運動と地域通貨」へ。マイケル・リントンさん、北大の西部教授、あの頃の『広告』の編集長であり打ち水大作戦を指揮する池田さん、エコマネー加藤さんなど、地域通貨のキーパーソンが勢ぞろい。

締めくくりは、嵯峨さんから「各自クリエイティブに奮闘することをここに宣言します。」と「Change Your Money 宣言」が高らかと。毎年5/28を、お金について考え、実践するようにしようと呼びかけて、人々が手とり、つなぎながら地域通貨サミット@万博は無事に幕をおろした。
控え室では各地のスピーカーが集い、コラボレーティブな話に及んでいる。こうやって点々としていた地域通貨が一同に集まって面をなしたこと、この意義はとてつもなく大きいだろう。もはやコミュニティ・カレンシー=「地域」の通貨という語義的な矛盾を超えた、オルタナティブ通貨を介した国民運動という、次のステップへと差し掛かっている。それほど、今日の一連のプレセンテーションには、今までに無い成果が着実に生まれてきている気がした。
とはいえ第四部での「地域通貨はオタクがやっているような、あまり関係の無い人には広がっていないのではないか。」という客観的な現状認識は、あながち間違っていないだろう。また、地域通貨論争でしばしば起こりがちな考え方の違いは、ここでもやはり少なからず露呈した。それでもリントンさんが「日本人は考えすぎる。時間が無い。ただ実践あるのみ。」とぶった斬ったこの瞬間から、晴れて次の局面へと進んでゆけるのではないだろうか。「お金を変える日宣言」はきっかけにすぎない、ただ実践あるのみなのだ。

朝6:00起床、顔を洗い帽子をかぶる。Heavyw8のTシャツの上にWKのジャケットでいざ帰国。帰りの飛行機はあっという間、オトコ二人組みだからって狙いをつけられたかバゲッジクレームでちょこざいな犬に何度となく嗅がれようと、何とはなしに無事日本に入国。空港で栗田くんとがっちり握手をして、ウトウトと東京の日常へと戻る。
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あれから1カ月後という遅れた日記のアップデート。かつてないインプットを重ねた旅の反動は、時差ぼけから回復した今となっても漠然と続いている。インプットによる創造は、自分がどうありたいかという本質的な問いかけを鋭く突きつけ、それに受け答えるべく自己認識の深化が進んでいるのがわかる。興味の対象は、こうして少しずつダイナミックに広がり続ける。
気付かされたのは、ニューヨークと東京はアメリカと日本の関係を表すように通じているということ。孕んでいる矛盾や大衆を扇動するイデオロギーが、どことなく似かよってる。錯乱するニューヨークは、更なるジェントリフィケーションを進めるが、それに対してマルチチュードも何らかの形で声なき声を叫び続けるだろう。そこに影はなくとも、それに耳を傾けなくてはならない。
そして今、目の前には錯乱の東京が広がっている。と同時に、東京を面白く変えていこうとする心地よい声も聞こえてくる。強く暖かいその声を颯爽と拾い集めながら、まだしばしトーキョーをガフっていこうかなと思ってます。
栗田くん、誘ってくれて改めてありがとう。いろいろ話せてホントによかったです。
そして出逢ったすべての方々に、感謝を。
PS
2年後の自分へ。
その時はアムステルダムへ。

8:00起床、朝マックをしてアパートから歩いて Chelsea へ。W24stのギャラリー街には、GAGOSIAN GALLERYやMARY BOONE GALLERYなど、倉庫を改造した天井が高いハイソなギャラリーが立ち並ぶ。それでも点々と自動車工場も紛れ込んだ多目的なストリートは、外は雑然と、中はホワイトの閉じられた異空間という大いなるアートの装置に加担していた。GAGOSIAN GALLERYでは、ダミアン・ハーストの「THE ELUSIVE TRUTH」展。「映りこみ」の美学とも言うべき、写真と見まごう圧倒的写実力はその被写体を現実から引き離し、「とらえどころのない真実」を浮かび上がらせていた、、なんて言ってみた。

他にもSTELLAN HOLM GALLERYのTILL GERHARDの「DAS WIR GEFUHL」展が目を引いた。美しく幻想的な世界をグラフィティのような手法で、優しくそして力強く彩られた絵画を前に、美術的な体験として呆然と立ちすくむしかなかった。扱う作家やテーマはもちろん、それぞれのギャラリーのオフィスのポリシー(例えば書類の整理の仕方など)も、エレガンスだったりフレンドリーだったり多様で飽きさせなかったが、W24やパリのルイズ・ヴァイスのような、ストリート単位でのアートシーンの盛り上がりは、ストリートが入り組んだり分断されている東京では、どうしても難しいのだろうか。

Chelseaから東、スケッチブックを求めて世界堂のような文房具屋SAM FLAXまで足を運ぶ。中々よいのが無かったけど、ペンやら何やらいろいろと子供のように買い込む。途中ハードコアなグラフィティトラックに鉢合わせ。あれは、ライターにお願いしたものなのかそれとも?

再び Lower East SIde に上陸。WK INTERACTを扱うSTUDIO101へ。Tシャツ、ジャケットなどの服から、小物を扱う店内にはWKのペイントが所狭しと覆われ極上のモノトーン。驚いたことにディスカウントまでしてくれた気さくな店員がWKその人。憧れの人がこんな近くに!

WKの作品が描かれたシャッターの下には、普通におっさんが日常として座っている。このアートとストリート、クリエイティビティと生活の自然な融合が、何ともニューヨークらしいというかかっこよいわけで。

再度立ち寄る reed space で Heavyweight のTシャツとMadeマガジン(存在感のあるゴールデンな製本のアートマガジン)を購入。店員をしてたstapleのアンドリュー君と談笑、TokyoArtBeatフライヤーをここにも。

そして再び乗り込むBedford。今日お会いさせていただくのは世界の Graphic Havoc !! Prefuse73やTriple 5 Soulをはじめ、言わずもがなのうっとりするグラフィックを生み出すブルックリンの震央!今日も快晴、遠めにマンハッタンが霞みながら、住所どおりの巨大な倉庫街へ、いざ。気付けばMATZUさんのおうちと劇近し。

表札でその名を見るにつけ、興奮がやまない。倉庫の3階の広い空間には、4人の個性が凌ぎをけずるスタジオ、プリンタはエプソン。特に背が高く細身の Derek は、TOMOYA SAITOギャラリーでの「Derek Lerner Exhibition」で感動したこともあって(作品を買っておけばよかったという後悔もあって)、感慨も一入!大漁のステッカーのほかCDとかを頂いた。これもインタビュー(っていうか雑談)はCBCにアップ予定。

作風が違えど常にクオリティの高いヴィジュアルをリリースし続ける4人のハーモニー。話し方も持ってる雰囲気もまったく違うのだけど、そのスタイルを高い次元で信頼しあうで生まれるグルーヴ感こそが、彼らのパワーの秘密なんだろうなと、妙に納得した。GHもMATZUさんも暮らすブルックリンという街の魅力、そんなブルックリンのアーティストを集めた作品集 718:brooklyn new style を購入。その冒頭にはかくありき。「ブルックリンに来てくれ、そうすればわかる。」

明日早朝には帰国、ニューヨーク最後の一組は Design is Kinky の Semi-Permanent 2004 Bookで表紙を飾った LIFELONG FRIENDSHIP SOCIETY。日本人のカオリさんが属する映像も手がける4人組みのデザインユニット。ユニット名がかなり素敵だけど、その雰囲気は家のような居心地のよいチェルシのオフィスにも表れ、ベンチでまったりとインタビュー。ここでもメンバー4人の個性が光っていた。カオリさんもレイさんやMATZUさん同様、ふるいにかけられてサヴァイヴしているという強さを秘めていて印象的。それでも「髪を切ってもらうとか、そういうのは日本人の方がいいかな。」と言っていたが、それには何となく頷いたのだった。

NY最後の夜は、Florent @ Meat Packing District、 憧れのソーシャル・クリエーター、ティボ・カルマンのデザインによる庶民的な24時間ダイナーは、エロスなピンクの店内に溢れんばかりの人々。メニューからして可愛いく、さらにチキンサンドが絶品!サイドメニューも文句なしで縁もたけなわ。張りもすっかり切れて久々のアルコールを片手に、「グラハヴォに会っちまった!ヤバくね!!」と興奮の最後の夜を、そしてデザインに溢れた旅を締めくくる。
戻って荷づくりをし、寝付けないのでNYにまつわるグラフィティの論文を読み返したり、ウィトゲンシュタインを読んだりこうやっていつのまにか夜も更ける。
明日は6:30にアパートを出発し、いよいよ日本へ帰国。
バゲージは溢れんばかりにパンパンだ。

朝8:00起床、友達と一緒にクィーンズからSubway。デリでコーヒーを二つ買って僕にひとつくれたその姿は優しさと凛々しさに満ちて、ホントに背の低いその子がとんでもなく頼もしく、とてもグっときた。某経済番組のNY情報のディレクタという、大学時代からは思いも及ばない華麗な(そして大変な)仕事のため、次なる企画を考えながら59stで降りていった。

なんとも豊かな朝帰り、何だか惜しいと散歩にでかける。向かったのは都会派なブライアント・パーク。キレイに整いすぎているこの公園は、ニューヨークでも有数の監視システムが敷かれているという。その公園を見下ろすように、ウェブ・ブランディングの際立つ Bryant Park Hotel がそびえる。フロントまで入れてもらったが、D・チッパーフィールドによるミニマムで上質なスペースは、エロテッィクな期待感が溢れて出ている感じ。その後、コルビュジエ、ハリソン、ニーマイヤーのうち「いったい誰が作ったの?」とCASA BRUTUSで煽られた国連本部ビルを、外野から眺めたり。

栗田くんと合流し、SOHOへ。2時にTRONIC STUDIOのレイさんと待ち合わせ、その前に本屋でBlack Clock(デザインの行き届いたリテラリ・マガジン)、foam(アムステルダム発、コンセプチュアル・フォト・マガジン。)、 BIDOUN(ニューヨーク発、中東のカルチャー誌)などを購入。特にBIDOUNはエディトリアルデザインが秀逸、「イランのひげと政治」とかコンテンツも充実。ロンドン、フランクフルトなどの情報と、アンマン、テヘランからの情報が同列という新鮮味。ZAKKAでも、最新のARKITIPとBOOK(アイルランドとブルックリン、36週にわたり世界を駆け巡ったスケッチブック)を買い込むと、既に鞄が大変なことに。ZAKKAにはTokyoArtBeatのフライヤーを置かせてもらった。ちなみに『錯乱のニューヨーク』のゴーストライターたるレム・コールハースによるPRADA NY店のショッピング体験は、観覧者としての自分にはあまりリアルじゃなかった。試着してないし。。

レイさんは普段は広告代理店AKQAのGlobal Creative Director として働いていて、TRONICはサイドプロジェクトという華麗な身のこなし。SOHOに出来たばかりのAKQAの新オフィスは広く開放的なワークプレースで、曰く屋上も使い放題という、羨ましいというか相応しい至高のクリエイティブ環境。近くのレストランで様々な話を伺いながら、確かなキャリアに裏打ちされた自然と伝わるデキる大人のダンディズム。お話の内容はいずれCBCにアップ予定です。

5時に、ニューヨークで活躍する日本人ペインターMATZUさんにお会いするため、Brooklynを貫くL線でBedford Aveへ。摩天楼を遠くに望むこの界隈は、「1km四方にFUTURAやKAWSたちが普通に住んでるよ。」とMATSUさん。マンハッタンの外側は、空が高く淀みのない居心地のよさを発揮し、ここだったら暮らしてみたいとホントに思わせるほどニューヨーク(≒マンハッタニズム)へのネガティブな印象は一気に消え去ったのだった。途中のTriple Crown Barでは、SHING02もライヴをしたBedfordの溜まり場、近日中にMATZUさんが外壁にペイントするとのこと。

MATZUさんのアトリエを兼ねた自宅に案内していただき、そこかしこから出てくるお宝に目を奪われる。「これはあいつがくれたもの、これはあいつが書いてくれたな。」と、コミュニティの誇りに満ちたピースな雰囲気が伝わってくる。ビール片手に「デザインへの愛が、あるか」みたいな話で盛り上がったり、一緒にDELTAやBANKSYのサイトを見て「やっべ~、これ!」と叫んだり、至福のひととき。こちらもCBCにアップ予定。

MATZUさんの作品は多層の色とオブジェが重なりながら、それでいてぱっきりと優しくそのオブジェが見えてくる感じで、思わず「どの瞬間に作品が『完成した』と思いますか?」と訊ねてしまった。「うーん。。『あ、今出来た』っていう直感かなー。」とさらりと答えていただいたけど、それは当たり前のようにそういうものなのだろう。
取材を終えたCBCクルーは、高揚と帰り道もデザインについて語りとおしていた。偶然にも飛騨高山に縁のあるお二人、今や巡ってニューヨークで活躍する日本人の芯から感じる力強さが、心に残った。
いい疲れが残ったまま就寝。また明日。

6:00起床、空港までタクシーで。12:00にニューアークに到着。NJトランジットでペン駅へ、EXITから望む初めてのマンハッタン、その第一印象は喧騒そのもの。東京に勝るとも劣らない、雑多なレイヤード。宿泊先のアパートメントホテルのある、36stの西側9aveと10aveの間まで、そんなアーバンスケープをスーツケースでごろごろと。12aveがハドソン川沿いなのでここまでくると喧騒から離れる。ガイドブックによると夜は10aveより西は治安が悪いらしいが、昼間はそんなでもない。アパートメントホテルは、黄色とオレンジのポップな壁紙で、炊飯ジャーや食器も一揃い、生活感漂うマンハッタン・アーバンライフ。今日は取材のアポイントもなく、夜から大学時代の友人と遊ぶ約束だけなので、それまでタイムズスクウェア、グラウンドゼロ、バッテリーパークを目指すことに。荷物を置き、軽やかに街へ出ると、錯乱のウェスティンホテルが目に入る。秩序あるグリッドに、錯綜するポストモダニズムの断片。

ニューヨークのひとつの象徴であり、マンハッタンを照らす光源であるタイムズ・スクウェア。四方取り囲む規格外の大型ビジョンからは絶え間なく膨大な情報が流れ、バーチャル・リアリティの中で時を止められた錯覚に陥る。ブロードウェイと42stが交わったその瞬間から、オートマティックに多様なニューヨーカーの有機的断面を表象し、故にジェントリフィケーション(高所得層による都心再定住=低所得層への抑圧)の壮絶な舞台をも体現したその一角には、刹那にニューヨークと同化する観光客のためのエンターテイメントが成立していて、まるで東京ディスニーランドにいるような、「これってリアルな街じゃないよな」的ギャップを感じてなんとも居心地が悪い。文字通り様々な歴史を重ねたタイムズ・スクウェアにおける、公共空間としての機能の歴史的変遷は、ニューヨークから帰ってきて発売された現代思想2005年5月号「公共性を問う」に詳しい。

いよいよグラウンドゼロに向かうため、「Subway」へ。Style Warsから早、という年月とともに、落書きのないキレイな表面。それでも暗い感じがするのは、この都市をつなぐ地下空間が写真も迂闊に撮ってはいけない程の目にみえない規律に保たれているからなのだろうか。(それは後で知ったことなのだけど。)社内には「SCRATCHITI(スクラッチティ)」と呼ばれるガラスをこするグラフィティが。時間がかかるリスクがありながら、クリエイティビティの発揮しにくいその無理のある手法は、逆に荒々しい粗野な対抗の痕跡として胸に刻まれる。

そして、たどり着いたグラウンド・ゼロ。911以来の戦場の最前線さながら!?と思い描こうとした魂胆とは裏腹に、あの日、テレビで呆然と釘付けになった「出来事の記憶」はどこかに追いやられて、目の前に広がる工事現場としての無の空間に、震えや感慨が一切無い事実に打ちのめされる。作られた十字架のモニュメントで記念写真を撮る人々、あの日あの時この場所であの出来事にでくわしていないのなら、僕らはいつまでも傍観者としていることしかできないのだろうか。この先ここにできる何か新しいものは、この事実を更なる上乗りで越えようとしているけど、むしろこの「無」の経験を育むことが、感情のリ・セットとしてのパラダイムシフトに貢献するように思える。(結果的にこのまま何年も放置される可能性もあるみたい。それはそれで来るべき文化的空洞化の宿命なのかも。)
もはや最前線は、ここではないのだ。

その後自由の女神を望むバッテリー・パークへ。あくせくとした観光シーズン、野良リスが蔓延る公園のベンチ、歩き疲れてチルアウト。イタリア人のアメリゴ・ベスプッチに由来するアメリカという国の名前、オランダ人がデザインしたニューアムステルダムから始まるニューヨークの歴史、アメリカ建国100周年にフランスから贈られた「自由」の女神、何て思いが交錯する。今のUnited States としての国家のアイデンティティが “Diversity” であるという抱えるパラドックスはいかにも根深そうだ。

時間もあるので Lower East Side まで宛てのないハングアウト。所々で切り出す「都市のテクスチャー」、ニューヨークにおけるそれが、僕にとってはどうしてもグラフィティだった。市庁舎の荘厳な建築を過ぎると、漢字が英語に勝るチャイナタウン、そしてリトル・イタリーへと街のタイポグラフィがブロックごとに様変わるのだが、その劇的なアーバンスケープの変貌にグラフィティはしっくりと溶け込んでいた。「マルチチュードの表現」としてのグラフィティが関わるものが言語ならば、確かに英語より深い「もう一つの文化」を生き生きと物語る、声なき声なのだった。

Lower East Side は馴染みの supreme や、エログロカルチャ誌 Vice のショップがあり、WK INTERACTの作品にストリートを歩けばあたる、重要なカルチャースポット。それでも対ジェントリフィケーション闘争はここでも起こっていて、ストリート系ギャラリー reed space がかろうじて残る Orchard stでも、シーンを牽引した alife や SEVEN は立ち退き、もの寂しさの残る街並みになっていた。右の写真はni9eの「グラフィティ・アナリシス」で登場したhellのボミング。あちらこちらに。

タクシーでアパートメントホテルに戻り、夜から友人と再会!ボーイフレンドのユダヤ人アビーの車で夜のマンハッタンを縦横無尽。カーペットクリーナーの仕事道具が占領する後部座席の切迫感がリアル。掃除機越しに4年振りの積もる話は尽きない。ハンバーガーをトライベッカで食べた後、栗田君とバイバイしてクィーンズのおうちへ。美しいクィーンズ・ブリッジからの光景を過ぎたどり着いた開放的な2LDKは、映画で観るようなグッド・アトモスフィア。朝までお互いの近況、仕事観、価値観、場所は違えどシンクロするGENERATION Y。
こうしてニューヨークにすんなりとオリエンテーション。
明日からいよいよ取材がスタート、ドキドキ。

いよいよFITCも最終日、アオイケさん、yugoさんが登場。会場まで初めて地下鉄を利用して会場へ。最後までよい天気に恵まれ、外を歩くのが清々しい。やっと落ち着いて街並みを見れる心の余裕。ある芸術家がニューヨークに疲れて移ってきたやら何やら、帰ってきてから様々なテクストでやたら目に付く「トロント」という空間にいくばくか呼ばれた感覚になったのもこの頃。とはいえ、明日早くにはニューヨークへ移動という強行軍。

いよいよアオイケさんのセッションがスタート。全て英語。CATMAN、ペレストロイカからソクラテスシリーズまで、時に知的、時におバカな洗練されたウィットネスに魅入る。LIMITED(=効率よく楽する?)というプレゼンながら、アウトプットの作りこみはこの上なくハンパないのだった。
そして、大トリyugoさんのセッションでは、「ロジックのコンテクストを、シフトしよう」という提案とともに、「特定の活動に対して、特定の適した Form を与える。 人から聞いた言葉だけど、”Form giver” でありたいという感じかな。」という言葉がとても印象的だった。「フォーム・ギヴァー」とは敬愛するsuperfamousのtitleタグにも見受けられる、どうやら建築におけるル・コルビジュエに向けられた「形態の魔術師」のような意味合いだったり、空間デザインにおける「アフォーダンスを与える主体」に近い概念のようだけど、そこに徹しているからこそ用意された新しいロジックに紡がれた Form は、華麗なアフォーダンスを帯びてわれわれを魅了するのだろう。フラッシュの方向性を結果的に進化させた張本人として、クリエイティブ・フロンティアに立ち向かうその姿はマイペースながら凛々しく、「オレもやってやらぁー。」と刺激される Good なものなのでした。その場で宣伝していた「自社サービスプロジェクト」の2ヶ月以内リリースがホントに待ち遠しい。

カンファレンスも無事終了し、怒涛のインプットの連続に反芻する余裕も無いまま、夜から “ActionScriptの神”コリン・ムークのおうちでホームパーティという幸福。WEFAILTシャツを身にまとい出迎えてくれた小柄なコリン。驚いたのは部屋の一面に飾られた色鮮やかな絵画!ジョシュア・デイビスもそうだけど、際立つ審美観から生み出されるプログラミングだからこそ、美しいアプリケーション体験が生み出されているのだろう。ここでもさまざまなクリエーターが交錯し、名残惜しいピースな夜が過ぎてゆく。
こうしてFITCを巡る濃密な3日間は幕を下ろしたが、グラフィックデザインやビジネスモデル、マルチメディアユースにいたるまで議題は非常に多元的だったといえる。それはフラッシュというひとつのクリエイティブ・ツールが、その可能性と魅力で各分野のいろいろな才能を惹きつけるプラットフォームへと進化してきた証だろう。3日間のうちに幾重にも重なったインプットは、ウェブクリエイティビティに関わるものそれぞれにとって、「ウェブのその先」を描くための示唆に富むヒントとなったにちがいない。(以上SHIFTよりコピペ)晴れて、僕にとっても、そう。
「カンファレンスの機能って何だろう?」と前のWhat’s Good Conference @ 香港にまつわるセミナーで戸惑った記憶があるけども、今回は自称日本をレペゼンするメディアとして=(コミットする側)としてFITCに関わって、その「移動と集合」、それ自体に孕むクリエイティビティの有機的な連鎖が至るところで創発される場なのだとリアルに理解できた。「今々、おれおれこうゆうことやたいわけさ」と嬉々と語るスピーカーたち、才能溢れるクリエーターが交わるそこかしこで広がるデザイン談義は、どうしても聞き耳を立ててしまうのだけど、ここではそれは決してオーディエンスからは遠い声ではない。
とはいえ、憧れのヒーローたちと直に相まみえ興奮するも、自分との歴然とした“差”を感じてしまう挫折にも似た感覚、加えて拙い英語で自分の思いを十二分には伝えきれないまどろっこしい悔しさ、それらを否応なく突きつけられた「集合する場」としてのカンファレンス体験を振り返る。当時の日記を今読み返しても、その焦燥はじんわりと伝わってくる。それでも一気に体系が見晴らせたこと、そうはいっても彼らと案外近いところにいること、そしてウェブ・クリエイティビティの向いている方向に、自分たちもシンクロしていることを確認し、今となっては発起する。yugoさんの言ってたことが少しずつリアルになり、誰しも「これからが面白くなる。」と口を揃える2005年4月。強烈なインプットはしばし自分を凹ませるが、その未知なる凹みとの闘いこそ成長の証なのだった。
ありがとうトロント!そして、明日からは錯乱するニューヨーク。

FITC2日目も朝から精力的に動き回る。SHIFTでは取り上げきれないほど、名だたる面々による思い思いのプレゼンテーションの連続。その空間は表現者としての個性的なクリエイティビティが凝縮されていて、オーディエンスとの対話の本気度が伺えるところだった。例えば、エログロの極みを魅せるフォトアーティスト Margot Quan Knight のプレゼンテーションは、期待通りの差し迫るサブリミナル的シークェンス・コラージュ。それでいてロジカルなのが不思議。
GAFFLING TOKYO 的に大きな収穫だったのが、ICOGRADA会長、ロバート・L・ピーターズのセッション「Future by Design」。「現状」を告発するフォトグラフィやAdbusters的カルチャージャミングなビジュアルと、マーク・トウェインからマーシャル・マクルーハンまでデザインから文化思想に至る壮大なフレーズを、ひとつの文脈でマッピングする曼荼羅的プレゼンテーション。(そのシート、彼のご好意で自由に配布可能、こちら(1.77MB / PDF)から是非とも右クリックから「対象をファイルに保存」でダウンロード!)Creators’ Social Responsibility を改めて問い直す内容もさることながら、それに傾聴し、拍手喝采を送るオーディエンスの意識の高さに、胸を打たれる。
翌日に直接に話せる機会があったが、その時は日本の社会問題に関わるクリエイティブの現状を少し憂いながらも(2003年VISUALOGUE@名古屋にも来日している)、少しずつよい方向に変わってきていることを共有できたのが大きい。たまたま休憩時間に、WWFTのマイク・チーナとNPOのためのクリエイビティについて熱く(拙く)語ったが、もはや海外では社会問題が身の回りの日常になっていて、クリエイティブなコミットメントも当たり前の感覚になってきている。それでもぶちあたってしまうジレンマとそれを乗り越える方法などについては、今もマイクとメールで交換中。後々、「ソーシャル・クリエーターの時代(仮)」としてまとめてアップできたら。

続いて presstube のジェームス・パターソンのプレゼンテーションは、時差ぼけの眠さを吹き飛ばすみなぎる笑い。「スモールなアイデアが集まると面白くなるんだよねー」と彼は言うが、その組み合わせの妙は彼にしか見えていないセンスだろう。大盛況のデビッド・カーソンのセッションが終了し、この日のパーティはFLUX@REPUBLIK。さながらFITCのスピーカー同士のサロン的寸評会。
ここまでの道すがら、タクシーの運転手(偶然、日本人ドライバ)の方から「関東で大きな地震があったみたいだよ。」と伝え聞き、社内の空気がよどむ。各方面に連絡し、大したものではないことを確認し安心するも、時事的に笑えなく後味悪い。その後ムッチリセクシー系フーターズでyugoさんたちと乾杯。こんななかなかあり得ない幸せな状況に、高揚とまどろんでいい気分。
今日もタクシーで帰宅、気持ちよくバタンキュ。
そして明日も朝から!

いよいよ今日からスタートのFITC!ちなみにFITCとは Flash in the Can の略。in the can とは「ほやほや」くらいの意味なのかな?今年は頭文字だけでFITC。今年で4回目を向かえ、スペインのOFFF、アメリカのFlashForwardと並ぶFlash祭典の最高峰。
衝撃を受けたサイトをつくった人たちとあい見えるという光悦。昨年のレジェンド、WE FAILや、類まれに奥深いクリエイティビティを提供するgroup94とかがいないのが意外だけど、9日、マルコス → Oculart(ひと目惚れ突き放し系) → ni9e.com(デジタル系ストリートボンバ) 、10日、Tom Muller (from 「憧れの」 kleber) → Robert.L.Peters (ICOGRADAの長にして、もはやソーシャルクリエーターのイコン) → presstube (手づくり系1コマのゆるゆるデストラクティブアニメーション・フリースタイラ) 、11日は、青池さん・ダ・リミテッド → ジョシュア・デイビス(何たる感動的威圧感!) → 中村勇吾さん(洗練された脱・ロジカルのフロントランナー)と、ラインナップに食傷気味の満足度。結構時間がかぶらないけど、コンプリートできるのか?頭の回転が追いつくのか?ちと、テクニカルな方々は存じ上げないので、そっちもがんばらないといけないのか??壇上に上がる蒼々たるクリエイティブ・エグゼクティブたち、圧倒されることなく五感をフルに立ち向かう極めて「対等な」オーディエンスとのトーク・ジャム・セッション!そのありあまる充実ぶりはShiftのレポートを要チェック!
トロント、オンタリオ湖に面するウェスティン・ホテルの会場に馳せ参じた日本人は、スピーカーのyugoさん、青池さん、青池さんの奥さん、マクロメディアの太田さん、そして栗田くんと僕という6人だけ。セッションの合間では、タバコゾーンでまったり談笑したり、雲ひとつない晴天の下、サンドウィッチを食べたり。

カンファレンスといえば夜はパーティ!初日はBRIDGE@リノベされた教会。ステンドグラスから既にエロい空間にアートが展示されていた。時間と共に溢れる人込み、最大のハイライトはライブアクト by WWFT / WeWorkForThem!ミニマムな音源に合わせた圧倒的ビジュアル・アイデンティティ攻撃がオーディエンスを魅了する。パーティーもアフター、昼になんとなく仲良くなったOculartのジェフとも、「マニキュア素敵~」みたいなまったりトーク。栗田君はWWFTを感動の対面、日本の個人サイトが華やいだあの頃、submthod / designgraphik のマイク・ヤング、True is True のマイク・チーナは僕にとっても永遠のヒーローで、彼らとの距離感の近さに足のすくみを飛び越えて、高揚とカタ言トーク。外に出ると、先に日本にも来ていた processingのベンとケーシーが太田さんとFlashについて語っている。そこも一つのパネルディスカッション@FITCなのだった。
タクシーで帰宅、なんだかんだ呑みすぎててバタンキュー。
また明日も朝から!

いつものように、徹夜で朝を迎える。引越しも重なり、洗濯機と冷蔵庫をリサイクルに出す。眠れずに、NY行きを強く動機付けたNYC・アンダーグラウンド・ムーヴィ『Style Wars』を復習したり、覚めやらぬまま迎えた出発の日の朝。「自分の仕事をつくる旅」と銘打った今回の旅路、4/8~12はトロントにて、CBC-net特派員としてFlashカンファレンスFITCを取材、4/12~4/15まではニューヨーク、数組のクリエーターの取材という、デザイン・コンシャスにとって夢のような7日間。
午後1時にCBC-netの栗田くんと渋谷での待ち合わせ、午前中忘れ物を取りに会社に戻ったり慌しく、完璧な荷造りが完了したときにはすでに時計は12時を回っていた。行く前からすでに重いバゲージには、BRUTUSやCASA BRUTUSのNY特集やら、デザインの現場やら、香港でよぎった「次はニューヨーク」という確たる思い入れを紡ぐ、参考書籍の数々。リムジンバスでゆったりと成田に到着するも搭乗時間を履き違え、シャトルにはギリギリのスライディングドア。
フライト中、ジャン=ボードリヤール×ジャン=ヌーヴェルの対話によるテクスト『les objets singulier - 建築と哲学』と知的格闘。「世界の終わりの震央」としてのニューヨークにあって、「(WTCは)終末と終末の達成という二つのことを語っている。」と911以前のテクストの緊急の告発に、レトリカルなスリルを感じる。呼ばれた感覚のニューヨークはまだ4日後。
12時間のフライトを終え、トロントへの経由地、ニューアーク空港に到着。指紋と顔写真を提出する物々しい入国審査、就職活動時代のスーツ姿のパスポート写真は、必ず審査で引っかかる。確実に香港よりもイングリッシュがスピーディで、じわじわと「アメリカに来た感」は感じつつ、それでも「外国に来た」という独特の高揚感は意外なほど全くない。
トロント行きの飛行機は3列のやたら狭いもの、空港からはバスでホテルまで直通。ここまでドア・トゥ・ドア、24時間の大移動。初めて訪れたトロント、ニューヨークの下調べは周到ながら、トロントには差別?と思えるほど事前情報をもたずにやってきたので、ニュートラルな視線で目の前に広がる街を捉えてみる。それでもそこにあるのは移動の事実だけで、ホテルのベッドで疲れを癒しながら、「仕事」@トロントの余りにもあっさりとしたチューンインに自分で自分に驚く。
いよいよ明日からFITC!

4月8日から16日までトロント~ニューヨーク、香港に続きデザインをめぐる旅はいよいよ本日の午後の便から。今回は好きなものがよく似てて、これからの勝負のフィールドも同じだろう CBC-netの栗田くんと2人旅。きっかけはトロントで行われるデザインカンファレンス Flash in the Can。普通なら$650のチケットがフリーパスでもらえるかも?どうしよ?っていうお誘いに、丁度その日のセミナーで「クリエイティブな旅」について熱く語らった手前、思いのほかスムーズに首を縦に振る。で、ついでにニューヨークも行きたいねってことで栗田くんがいろいろ面白いとこアテンドしてくれた。おそらく暇なし、かけづり回り、のべつまくなし、ものすごい達成感のもとに、帰ってくることでしょう。
街歩きをする時間がなく、申し訳ないほど何も調べてないトロント。WEBクリエーターなら垂唾もののバラエティに富むラインナップは、WEB界隈のちょっとその先を知るに十分だろう。主なスピーカーは、ビジュアライズの伝道師 Marcos Weskamp ( http://www.marumushi.com )、突き放し系のカリスマ Geoff (Oculart) Lillemon ( http://www.oculart.com )、ソーシャルクリエーターの香り漂う Kevin Airgid ( http://www.airgid.com )、脱意味の可能性を秘めた James Paterson ( http://www.presstube.com )、永遠なるヒーロー Bradley (Gmunk) Grosh ( http://www.gmunk.com )、そして偉大なクリエーターが勢ぞろう中で鳳を飾るのが Yugo Nakamura ( http://www.yugop.com ) 。
モロに衝撃を受けたサイトをつくった人たちとあいまみえるという恵まれた機会に思わず光悦。WE FAILとかgroup94とか So Fake とかがいないのが意外だけど、それでもすでにおなかいっぱい、食傷気味。ライブなリファレンスとして生ある言葉に素直に反応できたら、おそらく一歩先のビジョンに触れているのだろうな。アンテナの感度を困憊するほど最高にセットしとこ。そんな感じでデザイン・カーニバルはハードな3デイズ、この上ないお祭り感を揚々と愉しもう。
そして慌しくニューヨーク。雑多な文化が交じり合い、甚だしいスピードとスケールで、地区ごとに文化が刻々と変遷する稀代の大都市では様々な文脈が交錯し、自分なりの使命感を増幅させる。
まずは都市空間と建築、ミノル・ヤマサキが経世済民としての経済に平和の祈りをこめつつも、起こってしまったパラダイムシフトの強烈なビジュアライズとしての9/11、Ground Zero も着々と純粋な空白ではなくなりそうな前夜にいる。かつてはニューアムステルダム、レム・コールハースが『錯乱のニューヨーク』を詳らかにしてから30年、リサーチ・プロジェクトの集大成ともいうべき Prada NY を産み落とした激動のマンハッタニズムの今や。一方、コンサンプションに背くように加速する「R」の検証。Meat Packing District、D.U.M.B.O という新しい地域のアフォーダンスを感じられたら。
そしてグラフィティ。かつての Style Warrior たちの夢の跡としてのNYC。グラフィティは「マルチチュードの表現」として哲学の対象となり、ビジュアライズされた大衆の声は、確実に世界にリスペクトを持って発信されている。街に溶け込む WK INTERACT の残像に、おっかなびっくりできれば。
香港は相当文学的な旅だったし、自由時間もあったり深く見つめることができたけど、けど、こっちは「行動主義」の実践的ドキュメント、僕ら也のキャパ、ポイント・オヴ・ヴューで「移動性自分メディア」を我先にと突っ張り通す感じ。それは何よりも自分の糧になるだろう。ここのところ明らかに自分マネジメントにおける旅メソッドの意味合いが変容してきている。ニューヨークに行くのが普通の感覚って自分の中では新鮮な局面にいるわけで。。とにかく今回の旅は「遊び」なのか、「仕事」なのか、はっきり線引きをする必要はないけど、「仕事をつくる」ための旅には間違いない。まずは無事に帰ってこれますよう。

10:30起床。連日の中華料理で、お腹が膨満感でたっぷり。日本から携えた一仕事を無事終えた岡崎と合流し、昨日しつこく徘徊した中環(セントラル)のエルギン・ストリートへ。馬場正尊さんのサイトで気になった、いい感じなはずのブックショップ兼カフェ「Architude」はすでにCLOSEDのようですから。残念。露店で賑わうお昼どきのエルギンストリートの下り坂は、バーが集まる夜の顔と様変わった庶民の街。

この辺りはSOHO(SOuth of HOllywood Road)と呼ばれ、西欧人が集う洗練された地区として知られている。街並みも油麻地界隈とは違って、目にうるさくない。Architudeを諦めた一行は、スペイン料理レストランBOCAで久々に中華以外でご満悦。

その後自由行動、まずはアニエス・ベーギャラリーへ。アニエスも新旧ごった返すエルギン・ストリートに一目惚れし、ここにギャラリーを作ったようだ。今日はエキシビジョンが無かったので、スタッフのウィニーとしばし話す。牛棚、IdN、そしてアニエス・ベーと、香港の人たちが親身になって拙い英語に付き合ってくれる。それも僕の気がすむまでの結構な時間。それは、日本から来た旅人だから?デザイナだから?アートが好きだから?とにかく自分の関わるプロジェクトの延長線上に旅を位置づけることで、旅の経験がもっと濃く、心に残ることを改めて実感する。旅は日常を忘れる装置だけではないのだ。余っていたTABのフライヤーを渡す、これにてホントに完配。

働く男の背中。エスカレータ、大通り、地下鉄、香港はいたるところが工事中だ。灣仔に戻り、大行列のサラのセッション参加。「オッケー?」が口癖の香港人モデレータの、早急な決め付けともとれる質問を柔らかく丁寧に捌く様子に好感必至。セッション後、「ボン・ジュール、ジュ・ヴ・ルメルシー」と声をかけ、「Vive la liberte! ヴィヴ・ラ・リベルテ!」(自由万歳!の意)というメッセージとシグニチャーをもらう。Exactement!イグザクトゥモン!(その通り!)

その後カリスマ・スピーカーたちが台上に一斉に集まり、いよいよ最後のセッション「ラウンドテーブル」へ。What’s good ? を巡る果てない哲学の自由は、香港にどんな「気づき」を与えただろう。個人的にこのカンファレンスをまとめるなら、香港のためのクリエイティブ・リテラシー講座だった。それはGood と同時に、What’s bad ?つまり、「何をしてはいけないか」をも考えさせること。香港のラディカルな歴史に端をなす中華的未来への只ならぬ不安、「フー・アム・アイ?」というアイデンティティへの素直な渇望は、少なからずストリートに焦りを生んでいる気がする。アウトプットとしての結果を急ぐのではなく、マルジェラのパトリックの言葉を借りると、「なぜそれがそこにあるのか。」というコンテキストや、その表現にいたるプロセスをクリエイティブにすること。リスペクトすべきスピーカーたちのアドバイスは、そこに集約していたのではないか。

カンファレンスが無事終了し、再び庶民の街へ帰ってきた。旧正月で新年を迎える香港では、街が赤と黄の中国カラー一色。黄金に輝くお年玉袋、福の字が描かれたいかにもおめでたそうなティッシュなど、あれこれおみやげを購入。生活観あふれるティッシュを持ったまま、晩餐は高級上海料理。気さくな店員がとっかえひっかえテーブルについてくれる。上海ガニもみそまで劇ウマ、豚の角煮は人生で最も素晴らしい美味!得も言わせぬ至福の思いで、酒が回る。

気分よくフェリーで夜景を後にする。最後のチョンキンマンションの喧騒とした夜も話題は尽きず、眠気を追いやる知的興奮のまま2:30就寝。5:30起床、タクシーをぶっ飛ばして空港へ。空港で朝マックをし、雲のフラクタルを眺めながら3時間半であっという間に成田。NEXで帰宅し、19:00からたまたま観たTBS系「絶景の楽園」に釘付け。コスタリカ、山頂からは太平洋と大西洋が見渡せる。チベット、5000mにある天の湖の凍てついた波。マッターホルン、アルピニスト憧れの山頂には十字架がたっている。大学のときに行ったコートダジュールの鷲巣村エズ、紺碧の絶景は変わらず美しかった。まだまだ、憧れの場所への旅は終わりそうにない。
「good」とは、ピーター・サヴィル曰く「relative」という一言で締めくくれるだろう。相対的ということは、各々の位置を把握することだ。それこそ、立脚するアイデンティティの問題だ。返還を巡る香港の歴史的葛藤は、本を読んだり話を聞いただけでは全く想像が及ばないのだろうけど、街全体の初々しい焦燥感に少し踏み込んだ感触がある。日本に帰ってこんな話をしたとき、ある方は「97年で香港は終わった」と一国二制度の矛盾を嘆いた。本土から公安当局の私服警官が流れ込んでいる。近いうちに成長著しい深センに組み込まれ、しがない一地区に成り果てるかもしれない。世界でも有数の美味しい料理を出すシェフは、すでにバンクーバーに移住した。
それでも香港という街の運命は、残された大衆が切り開いていく。このカオスは、新しい香港の幕開けなのだ。アイデンティティとは何か。国家とは何か。香港での着想は、今年のプロジェクトに生き生きと活かされるに違いない。

朝9:00起床。今日はカンファレンスのセッションがないので、思い思い自由行動の日。午前中は男3人で、40分でいける中国本土、深センを目指す。月曜日の足早な朝、ご飯に香ばしいエッグタルトをほうばりながら見やる窓の外には、新界(ニュー・テリトリー)と呼ばれる殺風景な香港のベッドタウン。やたら高層なマンションで切り取られた乾いた輪郭しか見えない。終点の羅湖駅での厳しいイミグレーションを超えると、そこは改革開放政策の先駆けであるビジネス都市、深セン。駅前から見える景色は、東京がいつも突っ込まれる非計画的な都市景観そのもの。目的だった深センが一望できる高層ビル(名前忘れた)も、ポストモダニズムの哀愁を感じさせる外観。ここでも英語は通じない。黄色に霞む大都会の景色、展望台には客は誰もいない。いてもたってもいられず、あっという間にタクシーでとんぼ返りする。その間に話し込んだ文化大革命の話のせいか、イミグレーションで国境を渡る橋の足取りに、自由を感じたような感じないような。

戻ってきて地下鉄で「普段着の香港が息づく街」油麻地へ。地上に出ると、道路に突き出る看板の量が半端ない。見渡せば漢字の洪水。そこから小粋な廟街(テンプル・ストリート)の美都宴室(ミド・カフェ)で昼食をとり、いよいよひとり彷徨う。

ストリートごとに専門店が軒を連ね、歩くごとに活気や匂いが移り変わる、Central East Tokyoに似たダイナミックな都市の文脈。その中でもやたらと公園が多いのだが、中ではホームレスや老人がたむろし、和やかなんだけどなかなか近づける雰囲気ではない。

普段着の香港を感じるのは、何といっても裏道だ。視界が遮られる閉じられたプライベートな空間では、路上でゆるめに理髪店を営むおじいちゃん、表で売る野菜を洗うおばあちゃん。そこにはもはや、観光客としての僕にとっての居場所はなく、カメラを取り出す気も自然と引け、そそくさと立ち去るしかないのだった。お邪魔しました。

自然とよぎる「都市のテクスチャー」なるコトバ。作為的なものと非作為的なもの、そしてその間のもの。幾重にも重なる営みの地層に、普段着の生活感を超えた都市のコンテキストを垣間見る。

同じアジア人として、オリエンタリズムを感じるはずはないし、単なるエキゾチシズムでもない。見る光景がすべてフォトジェニックに思えるこの感覚は、僕がこの街を好きになっている証なのだろう。

高層ホテルと露店商。ピカピカな新しいものと埃がかった古いものが極端に近いところで共棲している。見上げるとどうしても違和感を感じる新旧のレイヤー。一気呵成に移り変わる意外なゾーニングこそ、この街のカオティックな魅力なのかも。

いつまでも飽きないハングアウトながら、やや足に堪えたのでタクシーで馬頭角へ。サングラス運転手のハイ・スピード・ドリフティングであっという間に目的地の「牛棚」へ。ここは、大型動物検疫所だった古い建物をリノベーションしたアーティスト・レジデンス。ギャラリーとスタジオが併設していて、自分の作品を撮影しているアーティストがいたり、猫と戯れたり気ままな雰囲気。ウィニーという女性のアーティストに声をかけて、TABのフライヤーと名刺を手渡す。ギャラリーでは、「未来へのノスタルジア」と題された97年当時の香港の写真展。モノクロの退廃的な街並みに輝く人々の笑顔。色彩豊かな繁華街とのコントラストに安らぎを覚えた。

潮の香りの漂う海の方まで歩く。この付近は活気付く港町だ。歩道のない袋小路、荷降ろしを終えたトラックが我先にと闊歩していく。

トラックの横顔が、なんてことないけどキレイ。こういうのを撮りたくなる気分。

陽が傾き始める。フェリー乗り場までもう少し。

鉄柵の先に霞む対岸を目指しフェリーに乗る。前に空港があった跡地は海に突き出たイタリアのような半島になっている。地図によるとその先端には、三方海に囲まれたゴルフコースがあるらしいのだが、、そのヤバそうなシチュエーションは、肉眼で確認できず。

波に煽られながら北角(ノース・ポイント)に到着し、再びワンチャイ。駅前には出し惜しみすることなく、フットサルコートと4面のバスケットボールコートが広がる。ヒップホップな若者と、多国籍なオーディエンス。やたら、フックシュートするあいつは何じゃいな、とか思いながらカラダはウズウズ。

ワンチャイに降り立ったのは、敬愛するIdNのオフィシャルショップに行くため。ワンチャイの反対側はその昔、合法的な売春街であり、今も古いマーケットが狭苦しく並ぶ庶民的なストリート。雑多にひしめくこの付近にグラフィティが多いのもなんとなくうなづける。左側には「street art is a beautiful crime!」と書かれている。店の暖簾の裏にも黄金のタギングが。

この界隈をひたすら歩き回るも、住所にあるグレッソン・ストリートが見つからない。偶然入ったカフェにネットがあったので調べてみるも中々見つからず、お店の人がわざわざ電話で聞いてくれた。多謝。漢字の上にDBSKONE?ゴミ箱とグラフィティ。重なるレイヤード。

やっと見つけたグレッソン。そこから右に曲がると、、ここも新年前にして賑わう雑踏とマーケット。ホントにここかいな、とじわじわと歩み入る。それらしき住所で、露店越しに見ると発見!ここがデザイン誌の殿堂、IdNのショップ兼オフィス。ありえない、、と口走りつつ、香港では、この意外な溶け込み具合に慣れるしかない。そこに居た英語の拙い80才のおじいさんを相手に、バックナンバーとDVDを買い込む。上から出てきた若い女性の店員と20分くらい話し込んでみた。香港と東京、お互い無いものねだりのグッド・リレーションシップ。TABフライヤーもごっそりと置いてもらえることに。ヤホーイ。

なんか広がってく感じに浸りながら上環(シャン・ワン)へ行くも、ギャラリーhabitusは月曜日が定休。つらつらと中環(セントラル)へ。予定も未定なので、エルギン・ストリートのオリエンテーション。ここには、明日のお昼に来る予定のArchitudeというカフェがある、はず。このストリートは、洗練された面持ちのバー、アニエス・ベーなどのギャラリー、キッチン用品のセレクトショップなどが点在していて、歩いてて気持ちいい通りだ。といいつつ、何度も往復するけども目的の店がなくてムカついてきた。しぶしぶ諦めて顔を見上げると、アンドレのグラフィティがあっち向いて笑っていた。
石塚は究極のエッグタルトを求め澳門にいっちゃったし、岡崎に電話するもお疲れのようなので、そのままひとりでフーガルテンで乾杯@Fringe Cafe。読み耽った『譚婦人』のディープな香港コラムの文学的体験。今ここにある香港、歴史とともにある香港。帰り道がやや怖くなった。酔っ払いながら、バーカウンターのイギリス人アーティスト、ピーターに絡んでみる。香港に来て8ヶ月、「バーテンよりも、もっと作品つくりたいよ。」という彼にもTABのフライヤーをごっそり。これで200枚完全配布!地下鉄で戻り、岡崎の泊まるホテルのシャワーで汗を流す。お湯が途切れないだけでも幸せ。幻のエッグタルトを携えた石塚と感動の再会をし、バタンキュー。明日はいよいよ最終日ー。
