→再び老子より。みずからの前に常に道がひらかれるようにどこかに長居せず、颯爽と世をわたってゆく。その自然な道に居場所を見つけることが、幸せなのかもしれない。いつか定住する場所が見つかるその日まで。
→空虚にこそ価値が宿る。老子を師と仰いだ岡倉天心の「茶」の心から、フランク・ロイド・ライトに衝撃せしめた空虚の系譜。実体と有用性を切り離した、行為を誘発する空間としての空虚。青山ブックセンターの店員が「老子はデザインだよ」と言った理由が少しわかった気がする。
→誰もが納得する「出来映え」に、「ふつう」という最適解が潜む。それには無理がなく、そつがないのだろう。
→FIRST THINGS FIRST を仕掛人ルシエンヌ・ロバーツの言葉から。「ロンドンのインディペンデントな雰囲気はソーシャルな意識の蓄積による」という文脈で。
自分がクリエイティビティをもってコミットすべき社会問題は、その人自身のアンテナに強く反応したものだからこそ、豊かなメッセージが生まれてくるはず。「自分のために」が、
「社会のために」ということが理想的なのだろう。
→毎日の何気ない体験が、思索の糧となることを自覚し、デザイナーに限らず、あらゆる仕事はlクリエイティブなものなら、何事も(寝るときさえも!)仕事だと思えて尊いとき、経験として刻むだけの体験が日常化された、魂の濃度が濃い、豊かな人生となるだろう。
→龍樹のブッダへの帰依の宣言から。戯論とは、形而上学的な議論であり、それを否定し、一切は意味的につながっている縁起の世界を、あるがまま受け止めようという龍樹。最初は「?」なんだけど、これが理解できそうなときの、「捉われのない視点」は甚だ気持ちよいもの。世界はいかに縁起に満ちていることか!
→「たどり着きたいと思っている場所」と「いなければならない場所」が同じとこにあることが、無理なくそれこそ自分らしいスタイルを持つということだろう。己を省み時に潔い決断を。
→急進的/根源的、という両面の意味をもつ「ラディカル」をめぐる、2人のジャンの対談から。ソーシャルネットワーキングなコンテキストの充実をむかえる一方で、改めて意味やコンテキストをこえたところの謎めいた美学が問われてる気がする。ラディカルであるために、キーワードは「セレンディピティ」。
→川崎さんがデザインに勤しむ人工心臓への思いの中で。ARTificial heARTというARTとしての体内のデザインは、ユニバーサルな機能美を体現し、デザインはいよいよ生命も扱う時代に。
→佐藤雅彦氏との対談の中で。まだ見ぬ面白いものに出会うことは、自分の中の常識が拡充していくからなのだろう。経験的な「リアリティ」は、リテラシーであり、懐の深さでもある。
→海洋上で見えない島をみたてるミクロネシアの人々、経験の伝承によって自然空間を既知化する、イヌイトやサバンナの人々。野生のナヴィゲーションはプリミティブではなく豊かに合理的であり、さまざまな空間認知の分析に応用できるはず。
→小さな一部分でも豊かに宇宙を表現している自信。「あまりに微細で目に見えないもの」に宿る精神的な価値を判別できるリテラシーが問われている。
→「もうひとつの世界は可能だ!」と宣する世界社会フォーラム(World Social Forum)の論文集の序文から。『もうひとつ世界』の定義をめぐるプロセスは、非常に生き生きとしている。それほどオルタナティブとは真に豊かな選択肢なのだろう。
→「文学」をあらゆる物に置き換えてみて、それは主体の「位置」によっても「視点」が変わる、相対的なものだろう。その時、主体を支える器としての、「時代の気分」はどう関わってくるのだろうか。果たしてWhat’s good for you?
→なるほど、花鳥風月は身の回りのささいなことであり、目に見えないさまざまな情報をはこぶ繊細なメディアでもある。ささいなことに臆したり、豊かに感受する心を大切に。
訳)何かをすること。反骨的で、好奇心旺盛でいること。インスピレーションがふっと舞い降りるのを待つのではなく、傾注すること。できるかぎり目の前にあるものを取り込むこと。自分に課された何らかの義務のしんどさに負けて、言い訳を許さないこと。傾注することこそ、生きる力なのです。それはあなたと他者とをつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。
→彼女の言葉はとても強くて優しい。Attention is vitality を胸に、stay eager 活き活きとあろうと思います。ご冥福をお祈りします。
翻訳参照)
http://oak.way-nifty.com/radical_imagination/2004/12/post_11.html
→アマチュアが集う場所として成立したゆるいコミュニケーションの場としてのサロンやクラブ。「現代の知識人はアマチュアであるべき」とサイードにならうならば、現代の知識人が集まる素敵なホットスポットが、求められているのかも。
→グラフィティをめぐるオークランドのライターの言葉から。モダニズムの矛盾が生んだ見えざる「もう一つの文化」を可視化するための切迫した手段が、「自分の言葉を持つこと」であり、今ある過渡期においても生き生きとしたヒントに感じる。
→「引用」とは誰かの言葉を借りて参照した人へコミットしたことであり、自らの価値観や空間を描きだすことだ。気になる言葉を曼荼羅にならべて、いい感じにリミックスして、自分らしい「萃点」をみつけることが、美(つまりイイモノ)の探求なのかも。
→「何がよいのか」を「何が真なるものか」と言い換えられるとき、真に感じるために、たくさんのものを知ることは、重要な実践となる。「秩序」と「複雑性」の共存に意識を傾けながら、What’s Good カンファレンス in 香港への気持ちの高まりを感じてます。





