→サイードによると、知識人は革新と実験に心をひらく、変化の代表である。それは『インテリ』という独特な語感の復権。
→スローな未来とは、ナレッジのリンクであり、新しいコミュニケーションのデザインである。第3の選択肢として、とても共鳴できる未来。
→意識が広げるだけ広がった熊楠にとっての「萃点」は、神社合併に反対することだった。自分にとって、それは何だろう?「萃点」は遠すぎず、ぼく自然な流れの上にあるはず。
→気鋭のアーティストであり、ベルリンの重要なカルチャー雑誌Lodownのキーパーソン、Maroc(マーロック)のインタビューから。ベースキャンプたる「いい家」と、ムーブメントを動かすいい「乗り物」が、両輪でクリエイティビティを支えるのだろう。
→個性あふれる感受性の意外な表現としてのレトリックは、真摯な思いを伝える大切な言葉なのだろう。
→『諦め』と『媚態』と『意気地』、いきにはまだ程遠い僕ですが、少なくともいきいきと、ありたいところです。
→何でもない所に美を想像する、東洋人たるクリエイティビティを、忘れずにいたい。
→リアルになることとは、カミングアウトすることであり、同時に、周囲に正直であること。「成功」って何よ、というところですけど、それはネットワークされたコミュニティで生きるために、とても重要なことだろう。
→心身一如として、悦に入るときの高揚感。僕にとってその神秘は、自然美や儀式的、伝承的な美、意匠による美への畏敬による身震い、あるいは、ある場所への呼ばれたような、感動的で瑞々しい感覚だろうか。ひろくその神秘をひらくことで、人生の豊かさを支える哲学にたどりつけそうな感じ。
拙訳)Ex- と自分を定義することで、社会的な疑問とされている文化的な慣例のタブーを破ることができる。よく、「もう働いてないんでしょ?」と聞かれるけど、僕はこう答えるようにしてる。「働いてるよ、ex-designerとしてね。」
Libre de contexte, p6, BIRKHAUZER
→ex-という接頭語は「超」と言う意味がある。(完璧と言う意味も)マルティ・ギシェの常識を超えながら、シニカルに馴染むデザインは、ex-という立ち位置から生まれてくる。それは枠組みを取り払った越えた真のオリジナリティ。
→なんとなくとデフォルメされた世界を、気に留めて見つめると、未知なるものとして、へこんでしまうくらい及ばなくなる。その意思を持った克服こそ、「身になる」という体験なのだろう。
→美は設計図にではなく、具現化した真に美しい作品に恵みとして与えられる。そんな美を、常に感じられるような仕事を、つくり続けたいですね。それが Good Design の Good を知るということ。
→デザインの教科書『デザインの生態学』から学ぶことは多い。その中で特に感じたのは、理論と実践をパラレルに実行するためには、本質を突く豊かなレトリックを、感性のままに表現し、伝えていくことではないだろうか。
→デザイナーが備わっているべき『想像力』は、時代の動きを捉え、ぶれなく社会にインパクトを与えうる資質なのだ。アイデアとセンスがものをいう21世紀型知識社会において、広義のデザイナーは重要な任務を背負ってます。
→ジャストアイデアも、オリジナルというよりも誰もが思いつきそうなこと。そのことに自信を持ち、客観的に掘り下げることで、「ありそうでないもの」という普遍的な価値にたどりつける。う~ん、さすが。
→宇宙飛行士ドン・ペティット氏が、宇宙ステーションに搭乗する人間の資格についての質問にこたえて。宇宙というミスの許されない極限状態でなくとも、ある場所でリーダーな誰かが、必ずどこかではフォロアーな場面がある。もちろん、その逆も。フォロアーシップのもと、誇りと責任を持って仕事に臨むことこそ、プロジェクトを成功に導く優れたリーダーシップにつながるはず。
→仕事とは、仕える事である。では、何に仕えるのか。個人的に転職のタイミングで屋久島で出会ったこの純粋な問答に、自己の生の動機がすべて集約される。折に触れ、この問いかけを思い出し、スパイラルアップしていこうと思います。

たのしく くらしてた。
みんな あかいのに、 一ぴきだけは からすがいよりも まっくろ、
でも およぐのは だれよりも はやかった。 なまえは スイミー。
ところが あるひ おそろしい まぐろが おなか すかせて すごい はやさで、
ミサイルみたいに つっこんで きた。
ひとくちで まぐろは ちいさな あかい さかなたちを、
一ぴき のこらず のみこんだ。 にげたのは スイミーだけ。
スイミーは およいだ、 くらい うみの そこを。
こわかった、 さびしかった、 とてもかなしかった。
けれど うみには、 すばらしい ものが いっぱい あった。
おもしろい ものを みる たびに スイミーは だんだん げんきを とりもどした。
にじいろの ゼリーのような くらげ……
すいちゅうブルドーザーみたいな いせえび……
みたことのない さかなたち、 みえない いとで ひっぱられてる……
ドロップみたいな いわから はえてる、 こんぶや わかめの はやし……
うなぎ。かおを みる ころには、 しっぽを わすれてるほど ながい……
そして、 かぜに ゆれる ももいろの やしのきみたいな いそぎんちゃく。
そのとき、 いわかげに、 スイミーは みつけた。
スイミーのと そっくりの、 ちいさな さかなの きょうだいたち。
「でて こいよ、 みんなで あそぼう。 おもしろい ものが いっぱいだよ!」
「だめだよ。」 ちいさな あかい さかなたちは こたえた。
「おおきな さかなに、 たべられて しまうよ。」
「だけど、 いつまでも そこに じっと してる わけには いかないよ。
なんとか かんがえなくちゃ。」
スイミーは かんがえた。 いろいろ かんがえた。 うんと かんがえた。
それから とつぜん スイミーは さけんだ。 「そうだ!」
「みんな いっしょに およぐんだ。
うみで いちばん おおきな さかなの ふりして!」
スイミーは おしえた。 けっして はなればなれに ならない こと。
みんな もちばを まもる こと。
みんなが 一ぴきの おおきな さかなみたいに およげるように なった とき、
スイミーはいった。 「ぼくが、 めに なろう。」
あさの つめたい みずの なかを、ひるの かがやくひかりの なかを、
みんなは およぎ、 おおきな さかなを おいだした。
→送別会にもらった、コンテンツのメンバーのメッセージが書かれたスイミーの絵本。「ぼくが、 めに なろう。」と、スイミーに、新たなみちを切り開く僕を重ねてみる。ラストのハイライトにしかスイミーの思い出はなかったが、詩人の短く優しい言葉には、僕の門出を心から祝ってくれている暖かさが詰まっている。さすがセンスのよいプレゼントに心からありがとうを!
→現実を理解する方法のバリエーションの豊かさ=リアリティ・リテラシーの高さこそ、洗練と同義の教養なのだろう。感性を磨くための体系である美学、倫理学を包含する哲学は、センスで勝負する時代に必要な真剣に取り組むべき学問だと思う。
求していくと、『自然』にいきつきます。『芸術力』とは、その-自然のー本質を見抜こうとする力でもあります。
→一時コモディティ化してた「アート」の語感がダイナミックに変容している。センスが問われる21世紀において、もっとも必要な素養はアートだと思う。商品開発だけでなく、どんなビジネスモデルにも、その美しい応用は考えられる。





