2008年02月26日
エネルギー・ウェブの時代 - ジェレミー・リフキン
分散型電源の登場と、局所的な、そしてゆくゆくは世界的なエネルギー・ウェブの構築は、世界をつなぐコミュニケーション・ウェブ誕生の延長線上にある、当然の帰結と言える。双方向コミュニケーションと双方向エネルギー共有は、互いに補い合い、利用しあう関係にある。このふたつの技術革命が融けあう過程で、新しい経済と社会に向けた基盤ができる。(…)そのシステムは、史上初めて、分散的な性質と真に民主的な形態をもつものなのだ。
→ 地球感覚かつバイオロジカルに21世紀のロジックを組み直す中で、「新しい当たり前」の根底をなすだろうエネルギーウェブ構想。ちょうどオープンかつインタラクティブな“ウェブ”的発想がデザインの現場で必要とされる今、その発想をアナロジーとしてエネルギーへ展開することが重要になるだろう。
2007年12月07日
いいものとは何か - スピノザ
わたしたちの活動力能を増大させるもの、促進するものがいいもの、それを減少させるもの、阻害するものがわるいものになる。(…)私たちの変様能力(触発に応じる力)をより多くのものごとへとひらくものであるから、「身体がいっそう多くの仕方で触発され変様することができるよう仕向けるもの」、あるいはその身体特有の運動と静止の構成関係を保持させるものが、いいものということになる。
→セレンディピティかインスピレーションか、そもそもにして人間は
触発される動物である。
突き上げられる感動、考えさせる思考を育むものこそ、<いい>ものであり、エチカルであってほしい。
※ただし、ドゥルーズがスピノザの善悪の捉え方の独自性として考えているのは、変動する活動力能を全体化はできず、「<悪>も<善>も意味を持たない」という、中世当時のテーゼに鋭くヒビを入れたこと。僕たちの身体を受け入れる器自体は、あくまで相対的なのだ。
2007年11月14日
再定住 - ゲーリー・スナイダー
人々が再定住することーすなわち、将来の長い期間にわたって、自分の住んでいる場所にコミットしているかのように生活し考えることーを要求されている。これはある程度原始的なライフスタイルに戻ることであるとか、あるいはユートピア的な地方主義に回帰することを意味するのではない。それは、簡単に言えば、コミュニティに参画し、地域で生活するだけでなく、地球社会から学びそれに貢献することも可能になるような、サステナブルで洗練された経済的実践のありようを探求することを意味する。『惑星の未来を想像する者たちへ』ゲーリー・スナイダー、p310、山と渓谷社
→いつのまにか自分の中で、ひところの高揚から違和感に転じていたノマディズム。現代の再定住とはローカルとグローバル、リアルとバーチャル両方のコミュニティ/場へのコミットメントであり、ノマドよりもグローバルなホーム感覚が、必要とされているのかもしれない。
2007年08月20日
削ぎ落としたらいけないものは人の温かさ
『削ぎ落とししてシンプルにしていく』というモダンデザインの心得はわかるけど、削ぎ落としていたらいけないものまで削ぎ落としていないか、その削ぎ落としたらいけないものは人の温かみじゃないか。
WEB STRATEGY vol.11 p.61
→
grafの服部さんが最近感動したという、柳宗悦と民芸運動をやっていた佐賀の木工職人の言葉から。温かみはきっと、ひとりよがりじゃない、相手のよさを引き出して共有しようというリスペクト溢れる態度から生まれてくる。「思い出の引き出し」をそっと開けるようなものを目指すというgrafのインタビューは、いつ読んでも示唆に富んでいます。
2007年07月26日
本物の中の本物を発掘する - 青山二郎
ひと口に本物といっても当てにはならない。本物の中にもほんとうの本物と贋の本物、- 見かけだけのもの、との区別があるからだ。(…)銘柄にとらわれず、外観に惑わされず、本物の中の本物を発掘するのが青山二郎が志したことである。『創造』といったのはその意味で、一日悟得すれば万事に通ずる眼を持つことであったから、命を賭けることも辞さなかったに違いない。
→世田谷美術館でも『
青山二郎の眼』が開催中。いまなぜ青山二郎なのかといえば、「天才的な審美眼」を持ち、「フツウの常識人」でありながら、「一兎を追う方が容易であるから二兎を追え」といい、「精神は認めたが、『精神的』なものは認めず」、「意味も、精神も、すべて形に現れる、現れなければそんなものは空な言葉にすぎない」と信じていたもろもろすべての態度が、
アンビエントな時代の気分にピッタリだからだろう。
2007年07月23日
アンビエント・ファインダビリティ - ピーター・モービル
無意識のうちに絶え間なく感覚を通過していくすべての情報が、人間の記憶や信念、予測、決断、行動を形づくる。人間には生まれつき本能が備わっているが、直感に関しては、一生かけて学習し続けることになる。情報は文字通り、大きな違いを生み出すデータなのである。そして実際に、人間の精神を変化させる。
→人間はあらゆるアンビエントな情報を五感で感じ、決断して行動を重ねていく。「何を見つけるかによって、何をするかが左右される」くらい、情報に基づく意思決定がサバイバル条件になってくるとき、天候、気の流れ、ひょんなやりとり、もろもろに何かを察する
ゆとりをもつことも大切なのだろう。
2007年07月20日
未発見のフロンティア - 原研哉
私たちの感覚の中には、いまだに発見されていない大陸のようなものが眠っているのではないかと私は思います。未発見のフロンティアが私たちの感覚の世界地図の中にあって、そこを発見していく作業がまだ残っているのではないか。未発の「感じる領域」を発掘するように探し当ててゆく。(…)テクノロジーはそういう感覚の上にも開花できるのではないか。小さな感覚上の発見が、人の生活に巨大な覚醒をもたらすのです。
→まだ見ぬインタラクションは人々を熱狂させ、いつかデザインパターンとして“なじみ”のものとなっていく。フロンティアとしての未発の「感じる領域」は、テクノロジーとデザインをつなぐ明確な目標として、地平を開いているのだろう。
2007年07月19日
A Writer - M.B.ゴフスタイン
作家は ソファに座って 考えをあたためている、
やがて 紙に 言葉をおき、
それを切り、 刈りこみ、 設計し、 形をととのえる。
彼女は庭師、 だが土地も、
そこにどんな種子が 根を下ろすかも さだかではない。
花々と、雑草と、 1本のやせた木を 育ててきた。
いま彼女は さまざまな色のパンジーを 夢見る。
1日の初めての光に 彼女は見る 小さな双葉が 芽吹いたのを。
兎がそれを食べたとしても 怒らない。 もっと生えてくると 知っているから、
作家は いつも学び、みつめ、 耳をかたむけるものだから。
いろんな思いが 心にひろがる、
どんな気持ちの波立ちも 気分の変化ものりこえて、
彼女はそれを大切にしてゆく。
彼女はたくさんの作家の 一人にすぎない、
一人机にむかい、 自分の本が いつか
人々の心の種子となって 蒔かれることを願っている。
『
作家』M.B. ゴフスタイン、G.C.Press
→旅から帰って、立ち寄った
気流舎でサワがふと買っていたゴフスタインの古絵本(翻訳:谷川俊太郎)の言葉が心打つ。書く存在としての喜びをまばゆく感じながら、紙に言葉をおいてゆこう。
2007年02月14日
ヴィジュアル・アナロジー - バーバラ・マリア スタフォード
イメージが我々に差し出すのは翻訳不能、それ以上還元不能のパターンである。これらは人々に、場所に、事物に我々が現在進行形で続けている順応を知覚が細かく調整するところを、多数に記録する。このヒトの連繋能力は個別たると同時にグローバル、特殊たると同時に一般的なものであり、差異と協和の形象(フィギュア)をこもごもうみだすことができる。
→ イメージやビジュアルは近似を感じる感受性を刺激して、人間を繋ぐことができる。「過去のこと、遠いもの、異なるもの」を理解可能にするアートフルなアナロジーとネットワーク的な知は、人々をワクワクさせながら、まだ見ぬデザインを
プロジェクト(投企)していくのだろう。
2007年01月18日
人生はJOYだ - よしもとばなな
人生はJOYだ。そう思うことだけが反逆なのだと思う。
→交わる感性、想像の及ばないリアクション、なんて人生はJOY!
2006年12月07日
サブジェクトからプロジェクトへ - ヴィレム・フルッサー
かつて客体とみなされたものはすべて、投企に他ならないこと、つまり技術から生まれた結果に他ならないことが、見えてくる。いまや、技術とは、可能なものからあるべきものを選り出すことなのだ。そうなると、技術行動の最終目標は、可能性の場から、あたかも客体に見える当為(モデル)を取り出すことに置かれる。技術が生み出すこうした擬似客体は、もはや主体によって否認される対象物ではなく、あるデザインから投企された投企物なのだ。
→
MASSIVE CHANGEや
禅の理念にも通じそうな重要な提言。「技術」の可能性は、従属する「サブジェクト」から、私たちを能動的な「プロジェクト」へと導く。(この場合、前後の文脈の「技術」という定義を精読する必要があります)人間相互の関係そのものが具象的であり、結び目の中におかれた客体と主体がすべて抽象的なものと受け入れたとき、直感的な「自己のデザイン」を実現する道が見えてくるのだろう。
2006年08月18日
生きるということは共鳴することである - アルフォンソ・リンギス
生きるということは、物が出す振動に共鳴することなのである。物質にとって、存在するということは、共鳴することである。(…)コミュニケーションが成立するのは、大地、海洋、大空の脈動が、私たちの体内で捉えられ、凝縮され、広げられ、つぎに私たちの体内から解放され、そのこだまが風と海とともに戻ってくるのを耳にするときなのである。
→見知らぬ誰かが目の前にいて、たとえ何も共有していなくても、顔を背けられないほどの確かなる共鳴を感じることがある。それに素直に反応することで、「服従としての思考」を超えた、普遍的で真にオーガニックなコミュニケーションに、到達できるのだろう。
2006年07月06日
フラット化する世界とイマジネーション - トーマス・フリードマン
人間のイマジネーションが大切ではなかった時代など、これまで一度もなかった。しかし、本書を書いていくうちに、いまほどイマジネーションが大切な時代である時代も一度もなかったとわかった。なぜなら、フラットな世界では、共同作業のさまざまなツールが、誰にでも手に入るコモディティになっているからだ。自分のコンテンツを創れる力を、多くの人々が持っている。ただ、けっしてコモディティ化されないものが、たった一つある。イマジネーション - どういうコンテンツを創ろうかと想像することだ。
→誰でも生産者になれるアップローディング、グローバルなサプライチェーン、特化した事業へのインソーシング、そして個人が主体的に情報にアクセスできるインフォーミング。見えるところ、見えないところで世界はますますフラットになる今、まだ見ぬ世界を描くためには、
仮設を掛け合わせて見定めていく、バランスの取れた想像力がカギとなるのだろう。
2006年07月04日
常識は反発しなければならない - ローレンス・レッシグ
単純なアイデアがわれわれの目をくらませ、そしてその暗闇の中で、見ればほとんど誰でも却下するようなことがいろいろ起きている。(…)盲目さが常識となる。そして文化を育成する権利を取り戻そうとする人々にとっての課題は、この新しい常識にどうやって目を開かせるか、ということだ。(…)常識は反発しなければならない。常識は文化を自由にするべく行動しなくてはならない。しかもこの可能性が実現されるためには、今すぐにでも。
→
ブルース・マウがデザインの不可視性に言及するとき、MASSIVE CHANGEにも登場するレッシグは、周到に忍びこんだ法、特に著作権をめぐる視点から「自由な」文化を投企する。文化をフリーに交換する新しい枠組みに向けて、いま常識の大規模な整理が問われているのだろう。
2006年05月31日
MASSIVE CHANGE - ブルース・マウ
われわれの世界は今、革新そのものによってもたらされた、いくつもの根深い難題に直面している。楽観主義は時代の雰囲気に逆行するものではあるが、これらの大きな難題の周辺、また世界の周辺には、途方もなく新しい力の数々が列を揃えて控えているのもまた事実なのだ。もし文化テクノロジーの周縁で進行しているあらゆる物質をつなぎ合わせることができるならば、まったく想像だにできなかったような未来像を描くことが出来るだろう。MASSIVE CHANGEとは、この未来地図を描くものである。
「デザイン・レジスタンスのためのブックガイド」InterCommunication No.57、p24、NTT出版
→<帝国>的なシステムにすら寄与する「不可視のデザイン」という戦略。そんな今だからこそ、デザインをする主体は裂け目を見つけることができる。現状批判も大切ですが、ただペシミズムにとどまるのではなく、着実でワクワクするな事例を見ながら、ポジティブな未来地図を描いていたいです。
2006年05月23日
目的がはっきりすれば禁欲するまでもない - スピノザ
自分のコナトゥス(注:自己保存の努力)を神の無限の自己肯定の一部として身一つに感じられるようになったら、それは最高の「魂の平安」、安心の極地であろう。それが求めるべき最高の幸福、至福、自由である、とスピノザは言う。(…)「よいもの」を求める欲望は、こんなふうに求めるべきものの認識がしっかりすればするほど強度を増し、コンスタントになる。「目的とは衝動のことである」というのを思い出そう。目的がはっきりすれば禁欲するまでもない。
→「最高の喜び」の可能性を本気になって考えたスピノザ。「自分で最も大事で最も欲することのみをよしとし、あれこれ非難する前に直接よいことに赴く」という自己肯定と努力の視点で「欲望」を捉えなおすとき、目的と出会うための知性の本質として、「欲望」の意味がラディカルに変わっていくのだろう。
2006年04月30日
「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい - マルコム・グラッドウェル
ちょっと立ち止まって第1感というものを本気で考え直してみよう。(…)ささやかな変化かもしれない。しかし、小さな変化が重なれば、きっと世界は変わる。きっと今までよりもすてきな世界になる。綿密で時間のかかる理性的な分析と同じくらいに、瞬間のひらめきには大きな意味がある。このことを認めてこそ、私たちは自分自身を、そして自分の行動をよりよく理解できる。
『
第1感』マルコム・グラッドウェル、p22、光文社
→なんとなくの瞬間的で感覚的な判断に、今までの経験やまだ知らない志向性が圧縮されている。そんな「
適応性無意識」に自覚的であることが、知識社会/情報過多の時代で生き抜くための、新たに必要なリテラシーなのだろう。
2006年02月20日
あたりまえのことに驚ける時代 - 竹村真一
現代は“あたりまえのことに驚ける時代”だと思います。我々の細胞は毎日3,000億も入れ替わり、分子レベルでは決して昨日の私ではない。(…)そんな魔法をあたりまえに行っているのが生命であり、それにあらためて「驚く」だけの知性の解像度を得たのが現代の人類です。「神」という言葉を必要とせずに、そうした次元を日常のなかで生きる可能性。ですから、ネガティブに厭世的に構えている時間がもったいない。
→あたりまえのことに驚くときの解像度は、クリシェやステレオタイプを容易に乗り越え、本質を直感的に捉えるために作用する。その透明なまなざしが心動く感動を生み出し、ディメンション・シフトのポジティブな可能性を揚々と切り開くのだろう。
2006年02月06日
創発民主制 - 伊藤穰一
一人ひとりの市民に全体を理解するよう要求しなくても、必要に応じて市民たちが自己組織的に複雑な政治問題を審議して取り組むことで、民主制の質を高める方式がありうる。それこそが創発の本質だ。(…)民主制に生きる市民たちが自己組織化と創発的理解を許容する形で参加する仕組みを、情報技術が提供できるならば、創発民主制の一形態は今日の代表民主制の政府が直面する複雑な諸問題や規模的制約のかかった諸問題に対処できるようになるだろう。
→インターネットという新メディアの最大のインパクトが情報の主権を転化させたとき、ネグリのいう絶対的民主主義の地平は、真に創発するためのWEB2.0の上に開かれている。
2006年01月27日
大きな変動は微視的な漏出から生じる - ジル・ドゥルーズ
巨視的には階級間の構造的矛盾によって規定される社会は、微視的には分子状の逃走線によって規定される。(…)社会全体をつくりかえるほどの大きな変動は、つねに微視的な変化、知覚しがたいほど些細な変化から生じるのだ(…)。これまでの状態からのちょっとしたずれが漏出の力であり、しかるべき条件を与えてやれば、その力は圧倒的規模におよぶこともある。その意味で社会とは、いつも何かが流れ、あるいは漏出してゆく様態それ自体である。
→大きな変動のために知覚しがたいほどの些細な変化に耳をすませること。そんな中にあって自分自身も何かを漏出しているというリアリティを、主体的に感じることが大切なのだろう。
2006年01月11日
有難いということ - 鈴木大拙
自分が、その中に自分より以上のものを感ずると、自分というものがなくなる、そのなくなったところから、自分というものがある、ということになる、そこに有難い気分が湧くのである。(…)自分というものは感じられない、その時にかえって、自分が有難いということが本当に感じられるのである。これが神秘ではあるまいか。
→自分がリセットされてなくなるとき、有難い気持ちが生まれてくる。なくなったところにゆとりも出る。能動的で生き生きとあるために、ものごとを肯定し直観的に感受すること。そうして謙遜/忍辱という、晴れ晴れとした受動性が生まれてくるのだろう。
2006年01月06日
創造とは傷ついた心の再編成である - 茂木健一郎
強烈な印象を残す体験を受けての再編成は、意識のコントロールできるプロセスとして起こるわけではない。だからこそ、その再編成の結果生じたものに、自分でも驚かされることがある。そのような再編成の結果新しいものが生まれるプロセスを、創造という。素晴らしい経験をすると、自らもそのような何かを生み出したくなる。適当な形で心が(脳が)傷つけられることで、その治療の過程としての創造のプロセスが始まる。
→創造のために、一度心は傷つかなくてはならない。自分が参ってしまうほどの
素晴らしい作品にふれることも創造ならば、むしろ凹みを歓迎しよう。創造のために、いつもフレッシュであるために。
2006年01月05日
カミと出会う場所 - 岩田慶治
カミは一つ、しかもカミは個々の形を離れない。この矛盾はわれわれの日常的な空間の内部では解消しない。しかし、それが自然の割れ目を凝視するときに、文化のなかにぽっかりと開いた余白、物と物との間、それらの空間に入り込む、おのれを捨てて歩みいったときに、自然に解消される。(…)そこにカミが出没し、そこでカミに出会うのである。『カミの人類学 - 不思議の場所をめぐって』岩田慶治、p267、講談社文庫
→この本の冒頭、「根源的な創造の場」として「不思議の場所」があるとき、万物照応として
肯定的に、一が多であり多が一であるような「カミと出会う場所」を感じることで、生きることが生き生きと詩的になるのだろう。
2005年12月16日
名文は精神の充実を送り届ける - 丸谷才一
名文はわれわれに対し、その文章の筆者の、そのときにおける精神の充実を送り届ける。それは気魄であり、緊張であり、風格であり、豊かさである。われわれはそれに包まれながら、それを受取り、それを自分のものとする。われわれはおのづから彼の精神の充実を感じ取って、筆者が文章を書くことを信じている信じ方に感銘を受け、やがて自分もまた文章を書くことの意義と有用性を信じるのだ。これこそは名文の最大の功徳にほかならない。
→ステキな文章をつくり出すには、言葉を選びとる自身の精神の充実がなくてはならない。そのためには、よく推敲された結実としての文章を目の前にして、著者の時々のテンションを感じとる気構えが大切なのだろう。
2005年12月13日
パブリック・スペース - 岡崎乾二郎
自己の外部から訪れるかのような涙をそのまま受け入れることができるのなら、他者の涙をも同じように自分のものとして受け入れることができるはずである。涙も(笑いも)、究極的には、いかなる主体にも属さず、回収することは出来ない。ゆえにそれは誰のものでもありうる。それは決まった場所を持たず、主体を含めた、あらゆるテリトリーから流出し、越境し伝染してゆく。(…)もし涙を流すように生み出された場所があるのなら(そこはつねに管理を超えた、過ち、悲劇としての場所である)、そこがパブリックな場所である。
→伊勢神宮を謳った西行の一句から紐解くパブリックスペース(と芸術)。あらゆるテリトリーを越境するノマド的な共時性が前提となったときに、誰のものでもない感情を共有するための場所こそ、真に<共>的なスペースなのだろう。
「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
2005年12月05日
人間の欲望は、他者の欲望である - ラカン
言語という他者と人間主体との間の最も中心的な関係は、人間が自己自身を示す言葉(シニフィアン)を持っていないということの中にある。この欠如に直面して、人間は自分自身を、言語という他者にとっての欲望の対象として経験することになった。この経験が人間にとって真に現実的と言えるものである。(…)人間が言語を通じて世界を経験し、その経験が言語の空中楼閣でなく現実であるための基盤は、認識ではなく欲望、それも他者の欲望である。
→自分が他者に語られているときに自分の居場所が生まれ、他者を見ながら自己を相対化することで、社会的な私ができあがっていく。「話す存在としての人間の辛さ」を認識してはじめて、「他者の欲望」が新鮮な気づきとなってふつふつと浮かび上がるのだろう。
2005年11月29日
アースダイバー - 中沢新一
ぐにゅぐにゅと不定形で、スマートな思考をする部分とぼんやりとした夢を見続けてる部分とが、ひとつに混ざり合って、人間の心をつくっている。泥みたいな材料でできた心を『無意識』と呼ぶことにすると、この『無意識』を歪めたり、抑圧したりするのではないやり方で、人の生きる社会もつくられたほうがいいのではないか。(…)なんだか得体の知れないところを持っている私たちの社会は、まぎれもなくアースダイバー型の特徴を持っている。
→「人間の心」という陸地が無意識を抑圧して沈みかけている今、もう一度泥くさいところから心をこねなおすというアースダイバー的パースペクティブ。それは人間らしく心地よい余地を取り戻すための、古くて新しいコミュニケーションなのだろう。
2005年10月18日
目を閉じるということ - 杉浦康平
目を閉じてみる。そうすると、からだの中の闇の広がりは光に満ちた外界ではない、自分一個の内世界なんだ。皮膚一枚で閉じられた自分だけの闇の世界のなかにしばらく身をおいていくと、この闇の世界が無限に拡張され、広がりはじめるという感覚を持つ。(…)人間ができる最も簡単ですばらしいこと。それは、目をつぶり、自らの内部の闇に意識をひそめるということではないか。
→自分一個の内世界に積み重ねられたもの。スティーブ・ジョブスが「
内なる声は知っている」というとき、自らの目をつぶり、光の下で見えるものだけじゃなく、闇の中で確かに感じるその中に、知りたい「それ」は
隠されることなくありありと、あり続けるのだろう。
2005年10月17日
裂け目を見つける目を訓練する - 後藤繁雄
無垢な眼差しで、これを初めて見たんだっていうような感動があるかっていうのは、もうフィクションなわけですね。ないんだったら、それを作ればいいって思うわけです。フィクションとして。でも、ときどき奇跡みたいな時もある。(…)少しほころびはある。むしろ、そういう次元を超えたり、裂け目を見つけられるような目の訓練がないと、ものを作る力にならない。
→現代の<ルール>に合わせてフィクションをつくるのでもいいけど、その積み重ねで確実に前例のないものにぶち当たった奇跡的瞬間に、物怖じせずに突き進めることこそイノベーションだ。そのために、「あっ、今キセキかも」と感じるひたむきな感性が、問われてくるのだろう。
2005年09月15日
創造的主体としてのマルチチュード - アントニオ・ネグリ
マルチチュードの創造的な運動によって、<帝国>の構成に存在の新たな意味が押しつけられる。というよりも、じつのところ存在の新たな意味は、オルタナティブなパラダイムとしてこのプロセスのうちに絶えず現前しつづけているのである。(…)存在の新たな意味は、支配的な権力を抽象的で空虚な統一へと推し進める、絶対的な肯定的力として作用するのだ。『
<帝国>』アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート、p91、以文社
→大欲、大我と
すべてを肯定する密教の立場とも何となくリンクする、世界を肯定する力を持つ創造的主体としての「マルチチュード」。曖昧だ何だといろいろ突っ込まれてますが、
web2.0の文脈で少しずつリアルになる「
クリエイティブクラス」の存在こそ、その担い手なのかもしれません。
2005年09月08日
世界は変えられることを望んでいる - ジョルジュ・バタイユ
到る所で、現代世界は急速な変貌を招いている。まこと地球がこれほど様々な目まぐるしい動きによってかき立てられたことははじめてである。もちろん、重大な急激な破局を地平がこれほど重く孕んでいるように見えたこともはじめてである。(…)だが、これ以上恐怖を表明せずこの世界に立ち帰って、その様々な可能性を認知すべき時期である。思想の物質的条件を率直に認める人間にとっては何ひとつ閉ざされていない。(…)到る所で、あらゆる仕方で、動きつつある世界は変えられることを望んでいるからである。
→「世界は変えられることを望んでいる」というバランス感覚は、翻って世界を構成する僕たちひとりひとりに関わってくる。「恐怖を表明してばかりいるな」という1947年のバタイユの「強烈な不意打ち」は、2005年を迎えた僕たちに何を投げかける?
2005年09月05日
内なる声は知っている - スティーブ・ジョブス
君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。(…)その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。
→内なる声に耳を傾けて、自分の無限の可能性から知らない自分を引き出してゆくことが成長なのだろう。「Stay hungry, stay foolish.」であるために、
自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ。
2005年08月30日
分配、複数、コラボレーション - ブルース・マウ
50年前とは劇的に違う世界が今、僕らの前にある。僕らは、このとんでもない変化に対して責任を負わなければならない。気の遠くなるような話だけど実際に起こっていることなんだ。(…)より進んだデザインは、3つの重要な考え方が基本になる。分配、複数、コラボレーション。単独で、小さなフレームの中で活動することは、デザインにはもう許されないんだよ。Esquire JUL 2005「闘うグラフィックデザイン」、p53
→「
もろもろの分野を貫いた」コラボレーションによるデザイン。未来へのデザイナーの果たすべきコミットは、小さなフレームを飛び越えることから始まるのだろう。
2005年08月26日
普遍経済学 - ジョルジュ・バタイユ
産業の延びなやみを合理的に解消するかたちで、或いはどうにも蓄積しようのないエネルギーを蕩尽する、非生産的事業のかたちで、過剰生産を転用することが必要である。(…)ここではただ、成長の拡大は経済諸原則の転覆を-それらを基礎づける倫理/モラルの転覆を要求するとだけ明記しておこう。局限経済の視野から普遍経済のそれへ移行することは、まさしくコペルニクス的転回を実現するに等しい。
→50年のときを経て、
見田宗介氏、
中沢新一氏らが21世紀のロジックとして期待する、供犠でも戦争でもない新しい時代のための蕩尽とは。この“常識”においては忌々しき「呪われた部分」としての非生産的活動は、普遍経済において何よりも人間らしく輝き出すはずだ。それがもしかしたら、21世紀のアートの役割なのかもしれない。
2005年08月12日
多主語の世界 - 杉浦康平
すべてのものに主語があって、森羅万象がむせかえる。むんむんしている状態ですね。一つのものが他のものと重なり合い、無数に重層しあって、互いに網の目のようにリンクしている。その一つ一つに主語があり、輪廻転生があって他のものとうまくやっていける。精神をわかちあうという感覚です。
→欧米の人には全然通じないというアジア的多主語の感性。500年来支配したオレ、オレ主張型西洋思想でひとつの臨界に達したとき、バランスをとるための東洋思想の根底は、森羅万象がむせかえる生態系への自然とエコロジカルな感覚なのかもしれません。その後に続く文章、「一たす一が二にならなくて、五になったりゼロになったりする。」たしてゼロになるって、いいなぁ。
2005年08月03日
おのれの場所を失わずに他人に譲る - 岡倉天心
おのれの場所を失わずに他人に譲ることが、現世の劇の成功の秘訣である。われわれは自分の役を過不足なく務めるためには芝居全体を知っていなければならない。個人を知って全体を見失うことがあってはならない。(…)おのれを空しくして他人を自由に立ち入らせることのできる者は、どんな事態をも自由にすることができるだろう。
→美を発見するために美を隠し、「自分を完膚なきまでに笑う高尚な奥義」としての茶道。それは、自分の役割を全うするために全体を知ろうとする東洋の理想であり、21世紀にいよいよ近代合理主義を脱するための、崇高なコンセプトなのだろう。
2005年08月02日
ありのままの自分でいるために - ジャン=ボードリヤール
人びとはもはや他の誰かに代表されたくないばかりでなく、『解放される』ことさえもはや望んではいない。いったい何から、何に関して、解放されるのか。自由を何と交換するのか。(…)人びとは、今日自分の欲することを望むとき、解放されている必要はない。自分がありのままで存在するために、私はこれだけの人間なのだと自覚する必要さえないのだ。『
不可能な交換』ジャン=ボードリヤール、p155、紀伊国屋書店
→世紀が変わってラディカルに転回する「自由」の意味。自分が誰かと違うことが当たり前なのだから、むしろ誰かと同じものを欲していることを尊ぶべきなのかも。「個性」の呪縛を超え、
晴れてありのままの自分へ。
2005年07月21日
歓喜と欲望は必要よりも本原的である -見田宗介
どんな不幸な人間も、どんな幸福を味わいつくした人間も、なお一般には生きることへの欲望を失うことがないのは、生きていることへの基底倍音のごとき喜びの生地を失っていないからである。あるいはその期待を失っていないからである。歓喜と欲望は、必要よりも、本原的なものである。
→物質的必要に先立つ生への歓び。そんな「単純なエクスタシー」を感じる人間らしさこそ、「世界を変える」ための、オプティミスティックなよりどころなのかも。
2005年06月23日
道有る者は処らず - 老子
みずから是しいとするものは、他人よりきわだってみえることはない。自分でほめるものは、何も成功しない。した仕事を誇りにするものは、長つづきしない。それらのものは『道』の立場からいうと、無用の付着物とよばれる。それらを生物はおそらく嫌い、斥けるだろう。だから、『道』を有する人は、そんなところに長居はしないのだ。『
老子
』第二十四章、小川環樹訳注、p62、中公文庫
→再び老子より。みずからの前に常に道がひらかれるようにどこかに長居せず、颯爽と世をわたってゆく。その自然な道に居場所を見つけることが、幸せなのかもしれない。いつか定住する場所が見つかるその日まで。
2005年06月20日
有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり - 老子
三十本の輻が、車輪の中心に集まる。その何もない空間に車輪の有用性がある。粘土をこねて、容器をつくる。その何もない空間に容器の有用性がある。戸口や窓の穴をあけて、家をつくる。その何もない空間に家の有用性がある。こうして、何かがあることからもちろん利益を受ける。だか実は、何もないことの有用性が根本には在るのである。『
老子
』第十一章、小川環樹訳注、p30、中公文庫
→空虚にこそ価値が宿る。老子を師と仰いだ岡倉天心の「茶」の心から、フランク・ロイド・ライトに衝撃せしめた空虚の系譜。実体と有用性を切り離した、行為を誘発する空間としての空虚。青山ブックセンターの店員が「老子はデザインだよ」と言った理由が少しわかった気がする。
2005年06月07日
潜在する『出来映え』をつくる - 深澤直人
詰める作業、エクスキューション(出来映え)が大変だし、大切なんです。エクスキューションというのは、みんなが共有するゴールに到達するプロセスのことですが、それはデザイナーだけじゃなくて、みんなで納得するものですから。だから、僕は自分の個性ではなく、みんなの中に潜在する『出来映え』を必死になって作ってるんです。
広告批評 2005/JUN「深澤直人の仕事」、p106
→誰もが納得する「出来映え」に、「ふつう」という最適解が潜む。それには無理がなく、そつがないのだろう。
2005年06月06日
誰のメッセージを作るのを助けるのか - ルシエンヌ・ロバーツ
ちょっと前まで、NPOの仕事はクリティカルな人がやってたけど、今はマクドナルドのPRをしている人がやったりね。自分は何をやるか、一番効果があるやり方を選ぶ時代というわけ。私にとって最も重要だと思われるのは、誰がメッセージを受け取るのか。誰のメッセージを作るのを助けるのかということ。Esquire 2005/JUL「闘うグラフィックデザイン」、p84
→
FIRST THINGS FIRST を仕掛人ルシエンヌ・ロバーツの言葉から。「ロンドンのインディペンデントな雰囲気はソーシャルな意識の蓄積による」という文脈で。
自分がクリエイティビティをもってコミットすべき社会問題は、その人自身のアンテナに強く反応したものだからこそ、豊かなメッセージが生まれてくるはず。「自分のために」が、
「社会のために」ということが理想的なのだろう。
2005年05月27日
経験として刻むだけの体験を日常化する - 福井信蔵
デザイナーは『そこではルールがまったく違うかもしれない』という自己想定問答を日常化すべきである。(…)『ちょっと待てよ。それって悪くないぜ。』と、ミクロにもマクロにも、縦横無尽に多様な状況に意識を馳せること。それには、食べる。聞く。見る。遊ぶ。笑う。泣く。描く。無駄使い。贅沢。旅。読書。鑑賞。そして、洞察。とにかく経験として刻むだけの体験を同時に日常化することだ。NIKKEI DESIGN、2005/6、p133
→毎日の何気ない体験が、思索の糧となることを自覚し、デザイナーに限らず、あらゆる仕事はlクリエイティブなものなら、何事も(寝るときさえも!)仕事だと思えて尊いとき、経験として刻むだけの体験が日常化された、魂の濃度が濃い、豊かな人生となるだろう。
2005年04月28日
不生不滅不常不断不一不異不去不来 - 龍樹
この世においては、何ものも生ずることなく、何ものも滅することなく、何ものも常住することなく、何ものも断滅することなく、何ものも同一であることなく、何ものも別異であることなく、何ものも去ることなく、何ものも来ることがないという、即ち、そのような戯論の消滅という、めでたい縁起のことわりを説きたもうた仏を、もろもろの説法者のうちで最も勝れた人として、私は敬礼する。
→龍樹のブッダへの帰依の宣言から。戯論とは、形而上学的な議論であり、それを否定し、一切は意味的につながっている縁起の世界を、あるがまま受け止めようという龍樹。最初は「?」なんだけど、これが理解できそうなときの、「捉われのない視点」は甚だ気持ちよいもの。世界はいかに縁起に満ちていることか!
2005年04月21日
たどり着くべき地点にはすでにいなければならない - ヴィトゲンシュタイン
私がたどり着きたいと思っている場所が、ハシゴを使わなければ上れないような場所なら、私はたどり着くのをあきらめるだろう。実際たどり着くべき地点には、すでにいなければならないのだから。ハシゴを使わなければ手に入らないものに、私は興味がない。
→「たどり着きたいと思っている場所」と「いなければならない場所」が同じとこにあることが、無理なくそれこそ自分らしいスタイルを持つということだろう。己を省み時に潔い決断を。
2005年04月20日
事物のラディカル性 - ジャン・ボードリヤール
ラディカルであることの特性は、何ものかが『現実的』であるかもしれないとか、意味やコンテキストや主体や客体などをもつ何かとみなせるかもしれないなどという考え方に対立している。事物とは、もはやそのようなものではないし、いちばん単純だと思われる事物でさえ、つねに謎めいた側面を持っているが、それが事物のラディカル性というものなのだ。
→急進的/根源的、という両面の意味をもつ「ラディカル」をめぐる、2人のジャンの対談から。ソーシャルネットワーキングなコンテキストの充実をむかえる一方で、改めて意味やコンテキストをこえたところの謎めいた美学が問われてる気がする。ラディカルであるために、キーワードは「
セレンディピティ」。
2005年03月10日
常識と非常識の境目 - 藤幡正樹
『美しさ』という価値判断は、常識や文化ととても密接なものだけれど、『面白さ』というのは常識ではなく、常識と非常識の境目で常識がぐっと広がる瞬間を指しているのではないか。非常識だとおもっていた事柄が、了解事項の中に入るその瞬間こそが、『面白い』と思うときなのだと思います。
→佐藤雅彦氏との対談の中で。まだ見ぬ面白いものに出会うことは、自分の中の常識が拡充していくからなのだろう。経験的な「リアリティ」は、リテラシーであり、懐の深さでもある。
2005年03月04日
野生のナヴィゲーション
ルートを『辿る』ことと『探る』ことの2つが一体となってその時々の状況に応じて調整する能力こそが、野生のナヴィゲーションの根幹である。(…)多様な環境において異なる見方や理解の仕方から、私たちが見えないもの、聞こえないもの、気づかないものが浮き彫りになってくる。その差の大きさを知ることによって、多様な環境に生きるために保ち続けてきた人間の能力の高さに気づくことができるであろう。
→海洋上で見えない島をみたてるミクロネシアの人々、経験の伝承によって自然空間を既知化する、イヌイトやサバンナの人々。野生のナヴィゲーションはプリミティブではなく豊かに合理的であり、さまざまな空間認知の分析に応用できるはず。
2005年03月03日
どの実体も一つの宇宙の表現である - ライプニッツ
魂には魂自身の法則がある。体にも、体自身の法則がある。それでいて両者が一致するのは、あらゆる実体のあいだに存在する予定調和のためである。そしてその調和が可能なのは、どの実体も、みなおなじ宇宙の表現にほかならないからである。『ライプニッツ - モナトロジー、形而上学序説』、p30、中公クラシックス
→小さな一部分でも豊かに宇宙を表現している自信。「あまりに微細で目に見えないもの」に宿る精神的な価値を判別できるリテラシーが問われている。
2005年03月01日
Another World is Possible
開かれた空間のなかで、われわれが『もう一つの世界』を定義するために必要な言葉たちがあらわれるだろう。人類が真に人間的で幸福な生活を生きるために与えられるオルタナティブがますます切り縮められている世界の中では、開放性は、戦略であるとともに目標でもある。
→「もうひとつの世界は可能だ!」と宣する世界社会フォーラム(World Social Forum)の論文集の序文から。『もうひとつ世界』の定義をめぐるプロセスは、非常に生き生きとしている。それほどオルタナティブとは真に豊かな選択肢なのだろう。
2005年02月09日
《良い》を定義するのは、それが占める位置である - ロラン・バルト
重要なのは、良い文学と悪い文学という二つの文学のあいだに、社会がみずからある構造的関係を設けているということである。《良い》を定義するのは、まずその倫理的な内容である、ということではなく、書かれた生産物がある体系全体のなかで、それが占める位置なのである。
→「文学」をあらゆる物に置き換えてみて、それは主体の「位置」によっても「視点」が変わる、相対的なものだろう。その時、主体を支える器としての、「時代の気分」はどう関わってくるのだろうか。果たしてWhat's good for you?
2005年02月07日
花鳥風月はマルチメディアである - 松岡正剛
花鳥風月はその背後にいくつものコードを忍ばせたモードによって、日本人が表現世界を維持していくためのシステムでだったという見方です。(…)もっと大胆にいうのなら、花鳥風月は日本人が古来から開発してきた独特のマルチメディア・システムだったということです。
→なるほど、花鳥風月は身の回りのささいなことであり、目に見えないさまざまな情報をはこぶ繊細なメディアでもある。ささいなことに臆したり、豊かに感受する心を大切に。
2005年02月02日
Attention is vitality - スーザン・ソンタグ
Do stuff. Be clenched, curious. Not waiting for inspiration's shove or society's kiss on your forehead.... Pay attention. It's all about taking in as much of what's out there as you can, and not letting the excuses and the dreariness of some of the obligations you'll soon be incurring narrow your lives. Attention is vitality. It connects you with others. It makes you eager. Stay eager.
訳)何かをすること。反骨的で、好奇心旺盛でいること。インスピレーションがふっと舞い降りるのを待つのではなく、傾注すること。できるかぎり目の前にあるものを取り込むこと。自分に課された何らかの義務のしんどさに負けて、言い訳を許さないこと。傾注することこそ、生きる力なのです。それはあなたと他者とをつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。
→彼女の言葉はとても強くて優しい。Attention is vitality を胸に、stay eager 活き活きとあろうと思います。ご冥福をお祈りします。
翻訳参照)
http://oak.way-nifty.com/radical_imagination/2004/12/post_11.html
2004年12月28日
アマチュアによる手作りの学問
『アマチュア』という言葉がありますけれど、これは本来は『素人』という意味ではありません。素人学者というか、つまり専門的な訓練は受けてないんだけれども、好きで学問する人。レヴィ・ストロースいうところの『ブリコラージュ』というのか、がらくたを集めてきて整理するというような、手作りの学問みたいなものをになう人をアマチュアと英語でいいます。『クラブとサロン - なぜ人びとはつどうのか』 松岡正剛他、p231、NTT出版
→アマチュアが集う場所として成立したゆるいコミュニケーションの場としてのサロンやクラブ。「現代の知識人はアマチュアであるべき」とサイードにならうならば、現代の知識人が集まる素敵なホットスポットが、求められているのかも。
2004年12月27日
自分の言葉を持つ
グラフィティが係わってるのはいわゆる言語なんだよね。なぜなら、メディアが共犯してある言語を通用させちゃうから、みんな自分自身の言語を持てなくなってるだろ。(…)チョムスキーが言ってるけど、もし一つの文化にあるものを表す言葉がなければ、それは表現できないんだぜ。英語よりももっと深い表現をできる言葉がある。それがお前が言葉を持ってるってことだよ。現代思想 2003/10、p52、青土社
→グラフィティをめぐるオークランドのライターの言葉から。モダニズムの矛盾が生んだ見えざる「もう一つの文化」を可視化するための切迫した手段が、「自分の言葉を持つこと」であり、今ある過渡期においても生き生きとしたヒントに感じる。
2004年12月26日
「引用」は美意識を育む
『引用』『参照』は単なる手続きの問題ではない。それはきわめてスリリングなコミュニケーションの実践だ。だからこそ、引用する/される人は、苦しんだり、怒ったり、笑ったり、嘆いたり、悲しんだり、喜んだりする。『引用』が展開される場・空間の社会をじっくりと読み解きつつ、自らの引用スタイルを確立していくこと。それはある種の美意識を育むことでもある。『引用学 - リファーする/されることの社会学』、ユリイカ、2004/3、p120、青土社
→「引用」とは誰かの言葉を借りて参照した人へコミットしたことであり、自らの価値観や空間を描きだすことだ。気になる言葉を曼荼羅にならべて、いい感じにリミックスして、自分らしい「萃点」をみつけることが、美(つまりイイモノ)の探求なのかも。
2004年12月16日
真に感じるための秩序 - レヴィ=ストロース
秩序は物の中にあり、作品 - あるいは物 - のうちに見たり聞いたり感じたりできるあの≪はるかに多くのもの≫は秩序を出発点としてはじめてとらえうるのである。『構造主義は、二元論をまったく拒否する。それは感性的なものと知性的なものの緊密な結合である。』とレヴィ=ストロースはいっている。彼が分類するのは、よりよく感じるため、≪真に≫感じるためなのである。『レヴィ=ストロースの世界』、p8、みすず書房
→「何がよいのか」を「何が真なるものか」と言い換えられるとき、真に感じるために、たくさんのものを知ることは、重要な実践となる。「秩序」と「複雑性」の共存に意識を傾けながら、What's Good カンファレンス in 香港への気持ちの高まりを感じてます。
2004年12月09日
知識人とは何か - E・W・サイード
知識人の表象とは、懐疑的な意識に根ざし、たえず合理的な探求と道徳的判断へと向かう『活動そのもの』である。またそうであるがゆえに、知識人たらんとする個人は、人びとの記憶に刻まれたり、危険な目にあったりするわけである。言葉をいかに効果的に使うかを学ぶこと、言葉を使って介入すべき頃あいを知っていること。これが知識人の行動のふたつのとりわけ重要な特徴である。
→サイードによると、知識人は革新と実験に心をひらく、変化の代表である。それは『インテリ』という独特な語感の復権。
2004年12月07日
スローライフな未来
スローライフな未来は、私たちが多様なコミュニティに属しながら、多様な個人のネットワークによって結ばれる社会になるだろう。各分野で巨大で複雑なメガワールドが、シンプルでスピーディなスモールワールドへと切り替わっていく。小さな自立分散型ネットワークが、場所の生命力や多様性を開き、オーガナイズして行くようになる。
→スローな未来とは、ナレッジのリンクであり、新しいコミュニケーションのデザインである。第3の選択肢として、とても共鳴できる未来。
2004年12月02日
萃点 - 南方熊楠
自然及び人間世界の森羅万象は、すべて原因結果の連鎖でつながっている。それはしかし、漫然とすべてがすべてに関係がある、ということではない。ある一つの場面をきりとると、そこにはかならず、そのすべての事象が集中する『萃点』があり、その萃点に近いところから、しだいに、近因と遠因とをたどってゆくことができる。
→意識が広げるだけ広がった熊楠にとっての「萃点」は、神社合併に反対することだった。自分にとって、それは何だろう?「萃点」は遠すぎず、ぼく自然な流れの上にあるはず。
2004年12月01日
乗り物みたいなもの - Marok
いつもさまざなテーマに触れていくことを意識しているんだ。その点で、『LODOWN』は僕にとって乗り物みたいなものかも(笑)。乗り物を走らせながらいろいろなものをピックアップし、多くの人に見てもらう。その結果、みんなが何かを感じることができる雑誌が『LODOWN』ではないかと思ってる。デザインの現場、2004/12月号、p77、BSS
→気鋭のアーティストであり、ベルリンの重要なカルチャー雑誌Lodownのキーパーソン、Maroc(マーロック)のインタビューから。ベースキャンプたる「いい家」と、ムーブメントを動かすいい「乗り物」が、両輪でクリエイティビティを支えるのだろう。
2004年11月09日
ありのままを表現するレトリック
森羅万象のうち、じつは本名をもたないものの方がはるかに多く、辞書に載っている単語を辞書の意味どおりに使っただけでは、たかの知れた自分ひとりの気持ちを正直に記述することすら出来ない、というわかりきった事実を、私たちはいったい、どうして忘れたのだろう。本当は、人を言い負かすためだけでなく、言葉を飾るためでもなく、私たちの認識をできるだけありのままに表現するためにこそレトリックの技術が必要だったのに。『レトリック感覚』佐藤信夫、P26、講談社学術文庫
→個性あふれる感受性の意外な表現としてのレトリックは、真摯な思いを伝える大切な言葉なのだろう。
2004年11月06日
『いき』 - 九鬼周造
運命によって『諦め』を得た『媚態』が『意気地』の自由に生きるのが『いき』である。人間の運命に対して曇らざる眼を持ち、魂の自由に向って悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして『いき』の様態を取らしむることはできない。
→『諦め』と『媚態』と『意気地』、いきにはまだ程遠い僕ですが、少なくともいきいきと、ありたいところです。
2004年11月05日
美は陰翳のあやにある - 谷崎潤一郎
われわれ東洋人は何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を想像するのである。(…)美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。
→何でもない所に美を想像する、東洋人たるクリエイティビティを、忘れずにいたい。
2004年11月02日
リアルになれ!
我々が実存的な自由にたどり着くこを運命づけられているのなら、生き残り、そして成功するたった一つのチャンスは、リアルになることである。(…)自分がなるべき人間にならなければいけない。自分の中に秘められている最高の秘密を、世界に明らかにするとよい。
→リアルになることとは、カミングアウトすることであり、同時に、周囲に正直であること。「成功」って何よ、というところですけど、それはネットワークされたコミュニティで生きるために、とても重要なことだろう。
2004年11月01日
神秘な道をひらく
人間のたましいの底からひらけてくる閉ざされた神秘な道が、科学との協力によってひらかれるとすれば、それは自然の隠された究極の秘密の領域へとわれわれをみちびいてゆくことであろう。
→心身一如として、悦に入るときの高揚感。僕にとってその神秘は、自然美や儀式的、伝承的な美、意匠による美への畏敬による身震い、あるいは、ある場所への呼ばれたような、感動的で瑞々しい感覚だろうか。ひろくその神秘をひらくことで、人生の豊かさを支える哲学にたどりつけそうな感じ。
2004年10月29日
Ex-designer - Marti Guixe
Ex- as a self-status element; this term breaks the current taboo of cultural institutions, solely interested as they are in social questions. As I am often asked if I am no longer working, I respond that I am, but as an ex-designer.
拙訳)Ex- と自分を定義することで、社会的な疑問とされている文化的な慣例のタブーを破ることができる。よく、「もう働いてないんでしょ?」と聞かれるけど、僕はこう答えるようにしてる。「働いてるよ、ex-designerとしてね。」
Libre de contexte, p6, BIRKHAUZER
→ex-という接頭語は「超」と言う意味がある。(完璧と言う意味も)マルティ・ギシェの常識を超えながら、シニカルに馴染むデザインは、ex-という立ち位置から生まれてくる。それは枠組みを取り払った越えた真のオリジナリティ。
2004年10月11日
リアリティにおののく - 原研哉
何かをわかるということは、何かについて定義できたり記述できたりすることではない。むしろ、知っていたはずのものを未知なるものとして、そのリアリティにおののいてみることが、何かをもう少し深く認識することに繋がる。
→なんとなくとデフォルメされた世界を、気に留めて見つめると、未知なるものとして、へこんでしまうくらい及ばなくなる。その意思を持った克服こそ、「身になる」という体験なのだろう。
2004年09月29日
美とは恵みである
制作時にどれほどの見通しをもっていても、真に美しい作品を生み出したときには、真っ先に作者がその美にうたれるはずです。人間の持ち分は、設計図を書いてそれを具現化することです。それ以上のことはできません。美は、その仕事に対して与えられる恵みなのです。恵みとして与えられる美は、その仕事が単に設計図を巧みに具現化したというだけでなく、真に『よい』ものであることを示しているのです。
→美は設計図にではなく、具現化した真に美しい作品に恵みとして与えられる。そんな美を、常に感じられるような仕事を、つくり続けたいですね。それが Good Design の Good を知るということ。
2004年09月28日
本質を突く鋭利な言葉
不思議なことに、優れた作り手・思想家は、例外なく物事の本質を突く鋭利な言葉を残しているものだ。
→デザインの教科書『デザインの生態学』から学ぶことは多い。その中で特に感じたのは、理論と実践をパラレルに実行するためには、本質を突く豊かなレトリックを、感性のままに表現し、伝えていくことではないだろうか。
2004年09月27日
デザイナーの基本的な資質 - 福井信蔵
『仮説と仮説を掛け合わせた複数のモデルを想定し、一つの事実を加えるだけで、次に起こることを見定められること。さらに見定めた何かを具体的にカタチにできる能力』これはいま、どの業界でも強く求められている人物像なのだそうだ。間違いなくデザイナーはそれができなければ仕事が来ない。小さなことへのこだわり+深くて広い洞察+無数のアイデア。どうやら以前とは違ったカタチでの『想像力』の使い方が時代のキーとなってきているようだ。NIKKEI DESIGN、2004/10、p132
→デザイナーが備わっているべき『想像力』は、時代の動きを捉え、ぶれなく社会にインパクトを与えうる資質なのだ。アイデアとセンスがものをいう21世紀型知識社会において、広義のデザイナーは重要な任務を背負ってます。
2004年09月22日
ありそうでないものとジャストアイデアの違い - 深澤直人
ありそうでないもの、と自分のデザインを表現されることは賛辞だと思う。ありそうでなかったということは僕が具現化する前に多くの人が同じような像や感情を持っていた、ということだからです。具現化することは客観的になることですから。その結果、アイデアのことを、より深く理解できる。そのスタンスが、ジャストアイデアとの違いだと思います。AXIS Vol.111、p57
→ジャストアイデアも、オリジナルというよりも誰もが思いつきそうなこと。そのことに自信を持ち、客観的に掘り下げることで、「ありそうでないもの」という普遍的な価値にたどりつける。う~ん、さすが。
2004年09月21日
フォロアーシップ
大事なことは、チームプレーヤーに徹する事。最高のフォロアーになることだね。リーダーは一人いるんだけど、自分がなるって事はほとんどない。地球では『リーダーシップ』について熱く語る人も多いと思うけどさ、実は『フォロアーシップ』っていうものもあるはずなんだよね。リーダーになる人よりも圧倒的に沢山の人がフォロアーになる。だから、大切な事は、自分の役割をちゃんと理解するという事なんだ。TOKION No.42、p33
→宇宙飛行士ドン・ペティット氏が、宇宙ステーションに搭乗する人間の資格についての質問にこたえて。宇宙というミスの許されない極限状態でなくとも、ある場所でリーダーな誰かが、必ずどこかではフォロアーな場面がある。もちろん、その逆も。フォロアーシップのもと、誇りと責任を持って仕事に臨むことこそ、プロジェクトを成功に導く優れたリーダーシップにつながるはず。
2004年09月17日
仕事とは、仕える事である - 山尾三省
仕事とは、仕える事と書く。仕事とは仕える事である。何に仕えるのか。社会に、人類の善と平和と喜びに仕えるのである。人類社会の善と平和と喜びに仕えることを通して、自己の生の完成に仕えるのである。自己の生の完成に仕えることを通して、人類社会の全体の完成に仕えることだと言っていいだろう。
→仕事とは、仕える事である。では、何に仕えるのか。個人的に転職のタイミングで屋久島で出会ったこの純粋な問答に、自己の生の動機がすべて集約される。折に触れ、この問いかけを思い出し、スパイラルアップしていこうと思います。
2004年08月26日
スイミー - ちいさな かしこい さかなの はなし

ひろい うみの どこかに ちいさな さかなの きょうだいたちが
たのしく くらしてた。
みんな あかいのに、 一ぴきだけは からすがいよりも まっくろ、
でも およぐのは だれよりも はやかった。 なまえは スイミー。
ところが あるひ おそろしい まぐろが おなか すかせて すごい はやさで、
ミサイルみたいに つっこんで きた。
ひとくちで まぐろは ちいさな あかい さかなたちを、
一ぴき のこらず のみこんだ。 にげたのは スイミーだけ。
スイミーは およいだ、 くらい うみの そこを。
こわかった、 さびしかった、 とてもかなしかった。
けれど うみには、 すばらしい ものが いっぱい あった。
おもしろい ものを みる たびに スイミーは だんだん げんきを とりもどした。
にじいろの ゼリーのような くらげ……
すいちゅうブルドーザーみたいな いせえび……
みたことのない さかなたち、 みえない いとで ひっぱられてる……
ドロップみたいな いわから はえてる、 こんぶや わかめの はやし……
うなぎ。かおを みる ころには、 しっぽを わすれてるほど ながい……
そして、 かぜに ゆれる ももいろの やしのきみたいな いそぎんちゃく。
そのとき、 いわかげに、 スイミーは みつけた。
スイミーのと そっくりの、 ちいさな さかなの きょうだいたち。
「でて こいよ、 みんなで あそぼう。 おもしろい ものが いっぱいだよ!」
「だめだよ。」 ちいさな あかい さかなたちは こたえた。
「おおきな さかなに、 たべられて しまうよ。」
「だけど、 いつまでも そこに じっと してる わけには いかないよ。
なんとか かんがえなくちゃ。」
スイミーは かんがえた。 いろいろ かんがえた。 うんと かんがえた。
それから とつぜん スイミーは さけんだ。 「そうだ!」
「みんな いっしょに およぐんだ。
うみで いちばん おおきな さかなの ふりして!」
スイミーは おしえた。 けっして はなればなれに ならない こと。
みんな もちばを まもる こと。
みんなが 一ぴきの おおきな さかなみたいに およげるように なった とき、
スイミーはいった。 「ぼくが、 めに なろう。」
あさの つめたい みずの なかを、ひるの かがやくひかりの なかを、
みんなは およぎ、 おおきな さかなを おいだした。
レオ=レオニ 訳 谷川俊太郎
→送別会にもらった、コンテンツのメンバーのメッセージが書かれたスイミーの絵本。「ぼくが、 めに なろう。」と、スイミーに、新たなみちを切り開く僕を重ねてみる。ラストのハイライトにしかスイミーの思い出はなかったが、詩人の短く優しい言葉には、僕の門出を心から祝ってくれている暖かさが詰まっている。さすがセンスのよいプレゼントに心からありがとうを!
2004年07月30日
リアリティ・リテラシー
全貌をパッケージ化して可視化・言語化するのが哲学である。現代を生きるものが、複雑な現実をパッケージとしてとらえるためには、現実を形成する多種多様な次元に関する知識と理解が不可欠である。そのようにして形成される<現実を読む目>は、『メディア・リテラシー』ならぬ、『リアリティー・リテラシー』とでも呼べるだろうが、現代の現実を生き抜くための『教養』とはそのようなものでなければならない。
→現実を理解する方法のバリエーションの豊かさ=リアリティ・リテラシーの高さこそ、洗練と同義の教養なのだろう。感性を磨くための体系である美学、倫理学を包含する哲学は、センスで勝負する時代に必要な真剣に取り組むべき学問だと思う。
2004年07月19日
芸術は自然の本質を見抜く
商品とは、人々にくつろぎをあたえてくれるべきものです。そのくつろぎを追
求していくと、『自然』にいきつきます。『芸術力』とは、その-自然のー本質を見抜こうとする力でもあります。
→一時コモディティ化してた「アート」の語感がダイナミックに変容している。センスが問われる21世紀において、もっとも必要な素養はアートだと思う。商品開発だけでなく、どんなビジネスモデルにも、その美しい応用は考えられる。
2004年07月15日
市としての意志 - 中田宏
市の役割とは、国、市、民間企業、アーティスト、市民などのそれぞれの立場の人々をつなぎ合わせ、いかにコーディネートしてゆくかということだと考えます。市としての意志を明確にし、これに適した枠組みをつくること、また具体的な個々の事業は市がコントロールしすぎることなく、民間の人たちにアイデアを提案いただくことが重要です。過剰に豪華な施設を用意することではなく、最低限の空間とチャンスが得られる場を用意し、あとは使う人たちが工夫すればよい。中田宏 横浜市市長、AXIS、109号、P63
→クリエイティブな多元な軸で、東京とは違うオルタナティブな横浜の街づくり。「文化芸術創造都市構想」を推進する横浜市で強力なリーダーシップを発揮する中田市長の言葉から、現代的なリーダーのセンスのよさが読みとれる。リーダーはコミットしたくなる場を用意することが一番大切なのだろう。
2004年07月13日
『旅』とは知恵である - アダム・グリックマン
本や新聞を読んでいるだけでは、本当にこの世界で起こっている事は決して分かりはしない。この地球に溢れんばかりの数の人間が住み、生活していて、いろんな事を考えたり、働いたり、料理したり、悪い事をしたり、ダラダラしたり、何かに不満を漏らしたり。そこにはありとあらゆる種類の出来事が起こっている。それは一人の人間が学び取るには到底大きすぎるし、例え学べたとしても、実際に体験する事に勝るものではない。『旅』とは知恵なのである。アダム・グリックマン/TOKIONクリエイティヴ・ディレクター、TOKION、No.42、P6
→最近東京に「生活」しているのか、ここで「旅」をしているのか、区別が付かない。ストリートでのハプニングによるリアルな体験が、毎日違う街の色を教えてくれる。トラベル・ネイバーフッド。つまりは、人生自体が旅であり、知恵であり、富なのかも。
2004年07月06日
非営利機関の製品は「変革された人間」である - P・F・ドラッカー
『非営利』機関は、財やサービスを供給することもなく、統制することもない。その『製品』は、一足の靴ではなく、効果的な規制でもない。その『製品』は、『変革された人間』である。つまり、非営利機関は、人間変革機関である。その『製品』は、治癒した患者、学ぶ子供、自尊心を持った成人となる若い男女、すなわち、変革された人間の人生そのものである。
→非営利であることの意義を理解し、組織側も参加する側も、社会のバランスを保つために巧みにそのサービスを利用する、そんな文化が美しいのだろう。NPO的考え方はトレンドでもなく、資本主義社会と表裏一体のバランス感覚。
2004年06月15日
CSRとは市民活動である
CSRが地に足の着いた取り組みとなるためには、社会そのものも成熟していかなければならない。その意味で、CSRとは、表面上、企業の果たすべき責任だけを問題としているようであるが、実は、企業がリーダーシップをとりながらも、周りの人々や地域がともに参画し成長する、つまり、社会全体を変えていく、というダイナミックな市民運動なのである。
→CSRという歴史的に必然なトレンドが企業の主体による市民活動であるならば、企業とNPO、そしてそれに関わる主体としての市民、あらゆる社会のステークホルダーが「もっと素敵なお金のつかいみち」に気づき、ネクストレベルの価値観が根付いてゆくだろう。今は、「責任」の語感が進化している過渡期。
2004年06月09日
安価でアノニマスなものから発想する - サム・ヘクト
実は5ポンド以下で買える優れもの、ヘンテコなものを世界中から集めている。安価でアノニマスなデザインの中には、作為性のない美しさや、単純ながら優れた機能を持つもの、そして地域性や文化性を反映したユニークなものが見つかるからね。サム・ヘクト、pen、2004 6/15、P72
→深澤直人さんのデザイン・パートナーも努めていた元IDEOのデザイナー、サム・ヘクト。柳宗理もアノニマスに無限の機能美を見いだしましたが、無作為の美に気づく豊かな感性を、伸ばしていきたいですね。
2004年06月07日
世界につながる広告 - 岡康道
人間をよくよく見るということが仕事をする上で大切にしていることです。人間をよく見ることからこの商品を逆に照らしてみる、ということを考えて広告を作るようにしています。(…)それが出来れば世界にもつながっていけると思うんです。そこにしか扉はないと思う。アートだったらもう少しいろいろなものがあるかもしれないけど、広告においては人間への洞察が一番だと思います。TUGBOAT 岡康道、+81、Vol.24、P47、河出書房新社
→深澤直人さんやトム・ケリーも強調する「人を観察する」ことの大切さ。その説明において、世界に誇るクリエイティブエージェンシーTUGBOATの岡さんだから発せられる、「世界につながる」というレトリックが、とても好き。
2004年06月04日
東京の噂力
どんなに素晴らしい店がオープンしようと、どんなに凄腕のシェフが入魂の料理を供そうと、誰かがそれを噂にしなければ、今の東京では認められたことにならない。○○らしいよ、という囁きは、時として目の前の現実よりも甘く響きます。そして、予想以上に遠くまで運ばれていくのです。この『噂力』でこの街は、世界中から注目される場所になりました。BRUTUS、2004/5/1、P29、マガジンハウス
→東京っていまどうなの?って聞かれても、東京ってどうもつかみづらくて説明できない。とにかく大きな生活圏、各々駅がそれぞれの色をなし、行く先々で何かが起こりうるハプニングベースの街、東京。だから「噂力」という定義はしっくりきた。そして僕は単に噂の持つダイナミズムが、人間的で好きなだけなんたと。
2004年06月02日
語感をみがく
ことばは、それがさす意味を伝えるとともに、そういう言葉で伝えようとしている人間をも伝える。どんな表現をとるか、そこに趣味や性格や態度や教養や言語感覚や、その他もろもろの人のあり方が映るかもしれない。考えると恐ろしいことだ。日頃から語感をみがき、一瞬一瞬、透明な心で対象に向かうほかはない。
→言い回しを少し変えるだけで、物事がすーっと前に進んだり、ことば一つ足りないだけで間が悪くなったりする。そういう語感のセンスを身につけたいですね。言葉のTPO。
2004年05月27日
新しい言語を探す - マルセル・ワンダース
僕自身の活動では、いつも新しい言語を探している、とでもいえばいいのかな?この品はこれ用、あの品はあれ用っていう定義を越えたところに、意外な面白さが見つかるのが面白くて。マルセル・ワンダース、Esquire、vol.18 No.7、P56、Esquire magazine
→ショーペンハウアーによる「笑い」の難解な定義を持ち出すまでもなく、ワンダースのプロダクトように「意外な面白さ」をさらりと自然体で、見つけていきたいですね。それこそクリエイティブなワーク。
2004年05月26日
ウェブの今後 - 中村勇吾
依然としてウェブは技術面から語られることが多いのですが、技術の面白さがなくなった時に何が残るのだろうか、と。その時は確実に来るわけですから。今も、全く新しい事が実現するような技術が創り出されるというわけではなく、今までできたことをより簡単にできる技術というのがメインになってますよね。なので、その時が訪れて、『テクノロジーだけだったね』と終わらないものを創りたいと感じています。けれど、コミュニケーションの楽しさは変わらないし、それをどう料理していくか、まだまだ無限のバリエーションがあると思います。中村勇吾、+81、vol.24、P21、河出書房新社
→技術の面白さがなくなった時。そんな時が来ることすら思いも及びませんでした。自分はウェブは今後どうなっていくと思うから、今はこれをしている。それを堂々と説明できるくらいは少なくとも。
2004年05月25日
甚深秘蔵とは、仏の隠す有るには非ず - 空海
いはゆる甚深秘蔵とは、衆生、自らこれを秘すのみ、仏の隠す有るには非ず。
訳)真言密教の教説は深くて、凡夫には容易に理解しがたい。しかし、それが理解しがたいのは、凡夫が妄想にとらわれているためであって、仏そのものが隠そうとしているわけではない。
→密教は世界を肯定する。自分自身の中に宿る宝に気付けという教え。この考えは時を経て、「エネルギーは変わらず、ノウハウという富は増えるだけなのだ。」というバックミンスター・フラーに通じてますね。平安時代と現代の知識の巨人から学ぶ。
2004年05月24日
ストリートアートと都市の文脈
If the work was taken out of its urban context, placed on canvas, given a hefty price tag and hung up in a gallery, it's likely those same people that viewed it as vandalism would see it as art. Although to take the work out of its urban context means the work nearly always loses something in transition, part of the creativity is how it integrates within the environment, the chosen spot which gives it the finishing touch...
拙訳)あるストリートアートの作品が都市の文脈から切り出され、キャンバスに描かれ、法外な値段が付いてギャラリーで吊されているなら、ストリートアートをヴァンダリズム(破壊活動)にすぎないと思っている人たちも、その作品をアートだと見なすのだろう。ただし、その作品が都市の文脈から切り出されるということは、その過程で何かを失うことを意味する。なぜならば、最後に手を加えたその選ばれた場所、その環境にどう溶け込んでいるかこそクリエイティビティの一面だからだ。
→金額ではない本質的な価値は文脈によって生まれる。時間のコンテクスト、場所のコンテクスト、組織のコンテクスト、あらゆるコンテクストにとって、美しいストーリーがあるものを意識したいですね。
2004年05月19日
より早く飽きる - トム・フォード
いろいろなことについて他の人々が飽きるよりも早く飽きることが必要なのです。
トム・フォード、BRUTUS、2004/6/1、P36、マガジンハウス
→早く飽きて、次のさらなる高みのステップへ。このサバサバ感はとても好感を感じます。これにサスティナビリティを意識したスキーム作りができるから(あるいはできるスタッフをコーディネートできてるから)トム・フォードはトム・フォードたる所以なんだろうな。最近それにばっかり固執してないか?自問自問。
2004年05月13日
生きのびるためのデザイン - ヴィクター・パパネック
デザインは、人間の本当の欲求にこたえるような道具となるものでなければならない。それは、革新的で高度に創造的な、そしてもろもろの分野を貫いたものとなるのでなければならない。それは、いっそう強く研究をめざすものでなければならない。おしてわれわれは、デザインのまずい品物や構造物で地球そのものを汚すのをやめなければならない。
→初版1974年という、とても先見の明っぷりなパパネックの本から。デザイナーにとって一番大切なのは、もろもろの分野を貫いた(CROSS-DISCIPLINARY)バランス感覚だと僕は信じます。だから何でも勉強になるのだろう。
2004年04月27日
フラクタル的発想
これまでも、形への飽くなきこだわりは無意識にフラクタルを求めてきた。フラクタルの全容が解明されつつある現在、デザイナーや建築家はフラクタルを自分自身の
発想のイメージの中に消化した上で、デザインし、設計することが必要であろう。そして、日常生活にフラクタルの概念を付加することによって、私たちは形を見る目を養い、豊かな造形の発想へつなげるべきだ。つまり、逆転の発想ともいうべきフラクタル的発想によって新しい視覚世界を創造していくのである。
→アースデイのフリマで見つけたフラクタルの本から。フラクタルってこんなに自然にも溶け込んでいるとは知らなかった。日常生活にフラクタルの概念を付加することで、カタチの面白さ、奥深さが見えてくる気がします。
2004年04月21日
ワークプレイスの『ライフプレイス』化 - 紺野登
一般的傾向として、人々はますます家庭で仕事をするようになり、他方でオフィスでは個人的な問題にかかわるようになる。会社で私事をこなすという意味ではない。顧客など外部とのコミュニケーションに時間を費やしたり、都市内や自宅での作業の連携をサポートするハブ的業務支援をオフィス側がするようになる、ということである。ワークプレイスの『ライフプレイス』化の重要性が急速に高まりつつある。それは、オフィスが広場的意味を持つということであり、オフィスに来ないとあるいはアクセスしてないと知が高まらない、ということでもある。
→会社へのアクセスにメリットを感じるオフィス。インハウスであることの意義は『ライフプレイス』としてのオフィスの価値に集約されていくだろう。
2004年04月20日
芸術の出発点 - 岡本太郎
自由であろうと決心したうえは、たとえ現在、自由にかけなくたって、それで
もかまわない、というほどの自由感で、やってみなければなりません。これはひじょうに大事なポイントですから、よくこころにとめてください。(…)まずいと思いながら、フッと気がついてみると、今までの自分の知らなかった、なにかひじょうに透明な気分が、そこに定着されているのに気がつくことがあります。これが、芸術の出発点です。
→自由とは自分が無心であること、枠にとらわれないこと。必ず大きな流れと違うことに戸惑いを感じるけど、そこから創造性や独創性がうまれてくるんだ。それにしても「透明な気分」という表現は素敵です。
2004年04月14日
文字そのものをストレートに味わう - 祖父恵慎
細部に注目するような見方を、いったん忘れて、文字そのものをストレートに味わえるようになると、もっと楽しくなってくるんですよ。『図々しい!』とか『弱々しい奴だなぁ』とか『あら、おすまししてるわね』とか。やっぱり人柄が重要。『この文字のこういうところちょっと苦手なんだけど、でもいいヤツなんだよなあ』とか、広い心で接してあげないと。(…)良いところと悪いところ、両方をまんべんなく味わうのがいいんですよ。
祖父恵慎、デザインの現場、2004/4、p16
→文字と語り合うタイポグラフィ。ストレートに味わう感受性でなされたデザインは生き生きと語りだす要因なのだろうな。
2004年04月06日
サラとコレット
私はずっとコレットをやっていきたい。なぜなら、私にとって興味のある活動は、すべて、コレットで実現できるから。サラ/colette ディレクター&バイヤー、pen、2003/8、p55
→僕はずっと、これをやっていきたい。なぜなら、僕にとって興味のあることは、すべて、これで実現できるから。自分の仕事をつくるってそういうことですよね。
colette :
http://www.colette.fr/
2004年04月02日
アートと知識の関係 - 紺野登
地域共同体や社会におけるアートは高質なナレッジワーカーを惹きつけ、かつ、アートに職業として携わる人々は自ずとアントレプレナー的な性格を有して周囲を刺
激することとなる。それが、ひいては、日本の打ち出すモノづくりやそのエッセンスである知識資産の質を高め、構造的な優位性を確立することにつながるだろう。それはとりもなおさず、顧客・社会の価値や価値観の変化に対応するものとなる。
→「アート」の定義は人それぞれですが、最近その言葉がコモディティ化・陳腐化することなく、高い次元で一般化し、応用されてきているように感じます。何かいろんなジャンルのいろんな問題がありますが、それに対する解答は「アートとその副次的ポテンシャル」って気がしてます。つまるところ「それってアートだよね」っていえるかどうか。
2004年03月30日
地域通貨の本質的な持ち味
コミュニティの内部から価値が由来し、内部で循環することが当初からデザインされ、しかも、三者以上の多様な主体をつなぎあわせて関係を構築することが、地域通貨の本質的な持ち味ではないか。
→僕がコミットしているアースデイマネーアソシエーションの理事、嵯峨さんの新著より。上記の性質を持つ地域通貨が美しく循環するコミュニティは、それ自体自然と美しくなるだろう。
2004年03月26日
Being yourself is overrated - Banksy
Being yourself is overrated anyway. It doesn't help. People say "I'm just being myself" as if that's some kind of fucking achievement. That's not an achievement, that's not honesty, it's lack of imagination and cowardice. - BANKSY
拙訳)
自分らしくいることは買いかぶりにすぎない。そしてそれはどうしようもない。よく『自分は自分らしい』と何か成し遂げたかのように人々は言うが、そんなのは偉業でも正直であることでもない。ただイマジネーションが欠落していて、臆病なだけなのだ。
Existencilism、BANKSY, p4
→敬愛するステンシル・ライター
BANKSY の Existencilism というクールなネーミングの本から。常に満足せず、イマジネーションを欠落することなく、意識を持って暮らす。この本は僕にとってクリエイティビティのバイブルだ。
2004年03月25日
WHO IS IDEO?
IDEO knows not just why, but how and where to apply technologies that allow spaces to be receptive and responsive to their inhabitants. (...) IDEO is a model for how design, technology, and business can work together. (...) IDEO'S work transforms how we live, bringing the future closer.
拙訳)
IDEOは、ある空間にいる人が、その空間を理解し、それに反応できるためのテクノロジーを、なぜ活用すべきかだけでなく、どうやって、あるいはどこで活用すべきかを知っている。IDEOはデザインとテクノロジーとビジネスをいかに結びつけるかのモデルである。IDEOの仕事は未来を身近に感じさせながら、我々の生活を変化させていくのだ。
→IDEOの新しい本「EXTRA SPATIAL」の冒頭より。IDEOのステートメントは「我々の生活を変化させること」。IDEOのパワーを産む、その短いビジョンが力強くて好きです。
2004年03月22日
オフィスではないオフィス - 黒崎輝男
『僕らがデザインしたのは“オフィス”ではなくて“働き方”。言葉では話せない言葉、数字では置き換えられない数字を目指すのと同じように、オフィスではないオフィスを目指したら、全く新しい空間が生まれた。』とイデ・アールプロジェクト代表の黒崎輝男は言います。(…)アールプロジェクトがやろうとしている事業は単なる建築の再生ではなく、当たり前と思われてきた働き方、生き方の再生なのです。
→ラウンジ・バー、古本屋を兼ね備えた青山のシェアオフィス「R-office」について、黒崎氏の言葉を交ぜながら。それぞれが疑問なく、満足できる「働き方」を、ビジョンとして持って、出来ることから変えていく。やっぱり想いが大切だと思います。
2004年03月18日
LOHASな暮らし
LOHAS(ロハス Lifestyle Of Health And Sustainability)とは、地球環境保護と人間の健康を最優先し、人類が共存できる持続可能な社会のあり方を望むライフスタイルのこと。何も難しいことではない。日ごろから省エネやリサイクルを通して『地球と人を長持ちさせる』よう生活したり、どんな職業であれ『地球と人を長持ちさせる』ことにつながる仕事をしようと心がける、程度に考えてもらえればいい。
→ソトコトが2004年、「ポスト・スローライフ」として満を持して打ち出すライフスタイルがLOHAS。特集ではチベット医学、コンシェルジュサービス、コ-ポラティブハウス、気孔とその実践は幅広いが、これからの生き方として誰にでも取り組めることだし、僕はLOHAS志向なクリエイタでいたいと思ってます。
2004年03月17日
自分の行動を管理する
人間を管理するときは、人間の行動と価値とは同じものではない、ということを念頭におくことが極めて大切なんだ。真に価値があるのは、自分の行動を自己管理する人間そのものなのだ。(…)『我々は行動のみの存在ではない。自分の行動を管理する人間そのものである。』君が管理しているのは人間であって、彼らの最近の行動だけじゃない。このことがわかればうまく管理できるようになるものさ。
→自分の行動を管理すること。これがヒエラルキー型組織にしろネットワーク型組織にしろ、個人として貢献できる力の源のような気がします。
2004年03月16日
優れた作品にふれること - 岡本太郎
創られた作品にふれて、自分自身の精神に無限のひろがりと豊かないろどりをもたらせることはりっぱな創造です。つまり、自分自身の、人間形成、精神の確立です。自分自身をつくっているのです。優れた作品に身も魂もぶつけて、ほんとうに感動したならば、その瞬間から、あなたの見る世界は、色、形を変える。生活がいきがいとなり、今まで見ることもなかった、今まで知ることのなかった姿を発見するでしょう。そこですでに、あなたは、あなた自身を創造しているのです。
→優れた作品にふれ感動するときにも、自分自信を創造している。インプットもアウトプットと同じくらい、創造なんですね。
2004年03月10日
Our Problem is civil obedience - ハワード・ジン
Civil disobedience is not our problem. Our problem is civil obedience.
Our problem is the numbers of people all over the world who have obeyed the dictates of the leaders of their government and have gone to war, and millions have been killed because of this obedience.
Our problem is that people are obedient all over the world, in the face of poverty and starvation and stupidity, and war and cruelty.
Our problem is that people are obedient while the jails are full of petty thieves, and all the while the grand thieves are running the country.
That's our problem.
Haward Zinn
市民の「不服従」が、我々の問題ではない。我々の問題は市民の「服従」なのだ。
我々の問題は、世界中の多くの人々が政府指導者の独裁に服従し、戦争に行き、何百万という人々がその服従のために殺されていることなのだ。
我々の問題は、民衆が、貧困と飢餓と馬鹿馬鹿しい行為・戦争・残虐にも関わらず、世界中で服従していることなのだ。
我々の問題は、刑務所が哀れなこそ泥達でいっぱいで、大泥棒が国を動かしている間中、民衆が服従していることなのだ。
これこそが我々の問題なのだ。
ハワード・ジン
→30年経っても、まだまだ解決してない「我々の問題」。できることからこつこつと。本読むもよし、活動するもよし。意識することが一番重要なんだと思う。
2004年03月08日
ボトムアップ型CI
働く人のための、現場の人のためのCI。これを僕は『ボトムアップ』と呼んでます。僕の作業は、その会社で最も使われるもの、社員の目につくキーアイテムをデザインすることから始まります。(…)みんな毎日触れるアイテムだから、それを使い、見つづけることで気分もモチベーションも少しずつ変わっていく。それがまさに、ボトムアップです。CIのデザインって、絵柄じゃなく、考え方を伝える視覚言語ですから、考え方を集約させてデザインでアウトプットする。すると、“いい会社”のCIができるわけです。佐藤可士和、『BRUTUS』2004 2/1、p81、マガジンハウス
→まず上記のようなアイデアを汲み取れるような、「考え方」が“イイ会社”になれるといいですね。
2004年03月04日
すべてのデザインは(どうしても)バウハウスに通ず
現代で何かを作っている人間からすれば、言葉は悪いけど、バウハウスは卑怯としか言い様がない。だって、手法という言葉では彼らがほとんどやり尽くしているから、それをシフトさせていくしか現在にやり残されたことはない。それに基本的な創作の考え方にしても、いまだに彼らの言っていることは通用してしまう。時代は変わっているけど、現在もそういう基本的なところは当時の延長線上でしかないってことだよね。(…)だからバウハウスに関して、クリエイターとしては『好き』とも『嫌い』とも言いづらいんだよ。
HOME 2002 Aug、p52、エクスナレッジ
→激動する時代を超える普遍性を創出することは可能だと、バウハウスは教えてくれてますね。それは「好き嫌い」を超えた上位概念。
2004年03月02日
スパイラルアップ
『人生、物事はスパイラル、渦巻きである』。
これからの人生で多分同じようなことで悩む時期がくるかと思います。当然、同じ位置でぐるぐる回っているだけでは成長がありませんがスパイラルアップしていけば同じようなことで悩んでもその置かれている環境が変わっていくのでより深く考えることができると思います。人生はままならないことが多いかもしれませんが、自分の人生くらい自分でデザインしていきたいですね。
→今回の名言は、尊敬する方から直接頂いた「スパイラルアップ」。結局今でも僕は同じようなことで悩みながら、少しづつ上を目指してる。自分の人生を自分の好きなようにデザインするために、この言葉はずっと僕を支えてくれてます。
2004年03月01日
平和とは老人の知恵みたいなもの
平和って、理想とかなんとかじゃないんです。(…)そして、そんな思い上がった過信じゃなく、汚い取引や談合を繰り返すことで保たれるのが平和。『この方がみんなにとっていい結論になるんだよ、年若い君にとっては納得できないだろうけれども』っていう、打算に満ちた老人の知恵みたいなもんです。そういうことをね、伝えていきたいんです。
→若い僕にもなんとなく理解できた平和のプラグマティックな部分。結局は人と人なんですよね。
2004年02月20日
アートとは時間である
率直に言って、日本のアート界で感じた印象の一つに、作家と評論家、観客の間の対話が不十分なことが挙げられると思う。なぜアートが重要で、生活のどの位置にあるべきか。ほとんどの人がアートは個人の趣味だと思っているけれど、私はアートは時間だと思う。好みは重要であるけれど、なぜその作品が優れているのか、他が語るに値しないのかについて話し合うことが必要だ。デヴィッド・エリオット/MAM初代館長、
Luca、2002、p162、Esquire
→名詞artとは「方法」という意味があるけど、アートとはマクルーハンの言うような社会のバランスを保つオルタナティブなやり方だと僕は思う。同時代性とアートとのつながりを意識することで、アートとは「時間」という解釈にたどり着けそうな気がする。現代アートはどんなオルタナティブなやり方を教えてくれてるのだろう。
2004年02月17日
アースデイのブランド化
チャリティがもし循環しないのであれば、チャリティはどうしても慈善イベントにしかならない。それはそこを起点にしなければならない行動なのである。だからこそアースデイには、この循環にひとびとが引き込まれるようなブランディングが、継続的になされることが必要である。POST CORPORATION PEOJECT、広告、2001 6+7、p64、博報堂
→
アースデイマネーのサイトがリニューアル。今がアースデイマネーそして、地域通貨の再出発と位置づけ、引き込まれるブランドにしていかなくてはならない。
2004年02月16日
富は増え続ける
総合して考えれば、富の物質的な構成要素、つまりエネルギーは決して減らず、超物質的な構成要素、つまりノウハウは増える一方だ。ということはわたしたちの富は、使うたびに、増えていくことになる。エントロピーに逆らって、富は増えるだけなのだ。
→エネルギーは保存され、ノウハウは蓄積される。「富は限りがあるから、使っとけ」という思想は、未来の可能性を狭めるだけ。ただ、富は無限に増え続けると感じるかどうかは富の捉え方を変えること。自分にとっての豊かさは何だろう?
2004年02月13日
スケートボーディングと富 - イアン・ボーデン
こうしてスケートボーディングは、まるで思いどおりにできるような物体からなる巨万の富によって、しかし祭りとは違い、金を浪費することも物を実際に所有することもなしに作動する。イアン・ボーデン、skateboarding space and the city
→建築専門誌10+1の「まちがいから豊かさへ」という文章で引用されている一文。僕がPARK Uを知ったのもその文章からだが、そこにいるだけで本当の富とは何かを言葉もなく教えてくれる。そんな豊かな文化の一つが、スケートボードなんだなと再認識。
2004年02月09日
ギャラリー≒ナイキ - ジェフリー・ダイチ
今の世界でギャラリーを経営していて思う事は、コミュニケーションの仕方の意味でナイキと凄く似ていると思うんだ。人々を興奮させて、メディアを刺激して、僕らが表現したいイメージを伝えていく。それはナイキがイメージ戦略として作り上げるアティテュードと同じようなものだと思う。それが十分コミュニケート出来れば沢山の人達を刺激できるし、『面白そうなことをやっているね、僕も仲間に入れてよ!』ってなるしね。
TOKION、2004 JAN/FEB No.39、p41、TOKION JAPAN
→ ストリートアートの『商品化』というテーマのダイアログから、NYのギャラリーオーナー、ジェフリー・ダイチの率直な言葉。ナイキ、つまり一企業のブランド戦略がストリートアーティストの創造性をリリースする場としてのギャラリーに置き換わる。その時、我々の「美」意識は、どのように変容していくのだろうか。いいか悪いかの二元的な話ではなく、パラダイムは確実に変わってきてる。
2004年02月05日
ここまでは大丈夫 - la Haine
C'est l'histoire d'un homme qui tombait d'un immeuble de 50 etages.
Le mec au fur et a mesure de sa chute,
il se repete sans cesse pour se rassurer.
"jusqu'ici, tout va bien..." "jusqu'ici, tout va bien..."
"jusqu'ici, tout va bien..."
Mais l'importance, c'est pas la chute,
c'est l'atterrissage.
訳)50階建から飛び降りた男の話。
落ちながら彼は繰り返し自分にこう言い聞かせた。
"ここまでは大丈夫" "ここまでは大丈夫"
"ここまでは大丈夫"
だが、大切なのは落下ではなく
着地だ
→ 「ここまでは大丈夫」なら「どこからがヤバイ」のか。いずれ待ち受ける『着地』がどうなるのかは、その判断に責任を持てるかどうかだろう。
2004年02月04日
Choose Life - Trainspotting
So why did I do it? I could offer a million answers -- all false. The truth is that I'm a bad person. But, that's gonna change -- I'm going to change. This is the last of that sort of thing. Now I'm cleaning up and I'm moving on, going straight and choosing life. I'm looking forward to it already. I'm gonna be just like you.
訳)何故それをしたかって?理由はたくさん言えるが、、それらは全て嘘だ。真実はただひとつ、俺が悪い人間だから。でも、それは変わるだろう。いや、俺が変えていく。悪いことはこれで最後。今、僕は正しい道へ動き出すんだ。そして、まっすぐに人生を選んでいくんだ。本当に楽しみ。あなたと同じように、人生を選んでいくんだ。
→ 映画の最初で『ヘロインさえあれば、人生を選ぶなんてクソだ。』と言っていた主人公の最後のセリフ。BGMはボーン・スリッピー。どん底まで堕ちても、そこからはい上がっても、自分の人生は自分でデザインした結果にすぎないからこそ、一所懸命人生を選んで、生きていこう。
2004年02月03日
多くの色を知る - 田中一光
語彙が抱負でなければ、言葉の表現世界は広がってゆかない。絶妙な言い回しや単語が見つかると、言いたいことをより的確にきめ細かく伝えられる。同じことが色彩にも言えるのではないでしょうか。
→ 田中氏の色の「引き出し」という伝説がある。街に溢れる紙、プロダクトを拾い集めて、細かい刻み目で分類した引き出しだ。色の最適解、それはカラーチャートにはない色なのだ。
2004年01月30日
タイポグラフィを実現するフィロソフィ - 小泉均
『タイポグラフィは実際の直接的なメディア以上であり、フィロソフィのない印刷物はタイポグラフィとは言わない』(…)つまり、実際タイポグラフィを始めるに当たって、漠然と『こういうものなので、こういう感じのタイポグラフィ』というのがたいへん危険なのです。タイポグラフィを志す人は他の分野で興味深いアプローチを重ね、何かをつかみつつある人が、そこをベースにして情報とタイポグラフィの関係に目覚めていくということが仕事に深みを持たせ、たくさんの新しい可能性を生み出すのではないかと考えています。
→ タイポグラフィの美しさとはフィロソフィがあるということ。「こういう感じのタイポグラフィ」のぐさっときたら、興味深いアプローチを絶えず重ねなければ。
2004年01月28日
「自分の感受性くらい」 - 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
→ 友達が引用してくれた一遍の詩。かなり心に響きました。戒めのように聞こえるけど、当たり前のこと。それは自分のことを、自分事として向き合うこと。
2004年01月27日
宇宙船地球号 - バックミンスター・フラー
超物質的な知性としてのアインシュタインが、物質宇宙の方程式、E=MC2を書いてそれを理解したとき、エイブラハム・リンカーンの『権力は腕力に勝つ』という考えが実現された。つまり、超物質的なものが物質的なものを計量し、支配したのだ。いかなる経験からしても、エネルギーが知性の方程式を書き、それを理解するといったことは考えられない。これが『宇宙船地球号』上での人間発展の本質だ。『宇宙船地球号』に乗り込んだ人類の現状が、この容赦なく働くプロセスを包含できず、超物質的なものが物質を支配するという機能に厳密にしたがう訓練もできないとすれば、人類の発展は中断されてしまうだろう。
→ 人類の発展の鍵は、僕たちの頭の中の「知性」が握っている。その前に、どう発展が幸せなのか、それぞれが考えなくてはならない。
2004年01月26日
最近気づいていないことは何か? - マーシャル・マクルーハン
マクルーハンをひとことで表現しろと言われたらこれを持ち出そう。『最近気づいていないことは何か?』 What haven't you noticed lately? という私たちへの問いかけだ。ばかげた質問である。だがマクルーハンはそうは思わない。こう問いかける理由はただひとつ。さらに多くの質問を自分に課すことになるからだ。私たちが何に気づいていないのかは、私たちがこの世界に対して不注意である理由を自問しない限り、わからない。ここにこそメディアと環境に関するマクルーハンの教えがある。
W・テレンス・ゴードン『
マクルーハン』、p144、ちくま学芸文書
→ メディア学者マクルーハンの入門書のまとめから。多くの質問を積極的に課すことは極めて刺激的だが、気づきすぎて抱え込むことも多くなるだろう。でも盲目や無関心であることよりは、はるかに崇高な精神状態だと思う。
2004年01月22日
勝利からの逆算法
まず戦略的に『自分のスタイル』を定めたうえで、必要な技術を逆算して練習するという『勝利からの逆算法』とも称すべき思考法は、スポーツだけでなく、どんなビジネスの場にも通用する普遍的なものでしょう。
→ 重要なのは設定する『勝利』のレベルだろうな。そうすると、自ずと『スタイル』は戦略的になってくるはず。それは自分自身の暗黙知が形式知にしなければならない瞬間。
2004年01月19日
ファシリテーターが協働を促進させる
ファシリテーションとは、『中立的な立場で、チームのプロセスを管理し、チームワークを引き出しながら、そのチームの成果が最大になるように支援する』ことである。ポイントは、チームが取り組んでいるコンテンツ(What)ではなくプロセス(How)をコントロールするところにある。(…)ファシリテーターはコミュニケーションの場をつくり、人と人をつなぎ、チームの力を引き出し、多様な人々の思いをまとめていく。その場に参加しているメンバーの主体性や当事者意識を育み、優れたコンセンサスを生み出していくのである。
→ ちょと背伸びして読んでる実用書から。完璧心理学から導かれた基本フレーズなどは、本当に仕事以外のシチュエーションでも非常に役立つので、身につけたいスキルの一つです。来年から後輩もできるし。。
2004年01月16日
啐啄の機
何ごともここがグッドタイミングという瞬間があるもの。早すぎず、遅すぎずその機を逃さず出逢う好機。それにはこれを見逃さない目と行動力がなければなりません。相手がいての『?啄の機』ですから、自分の都合だけでなく、相手の動きや成長の真実を見抜く目を持つことが大切です。両者の『呼応』が奇蹟を呼びます。…人は『啐啄の機』に出逢ってこそ花を咲かせます。
→ 一期一会と同じくらいお気に入りの禅語の一つ。いつでもソッタクの機だと思えるように、様々なことに気付き、自分の目を養っていきたいです。
2004年01月15日
青春に対する決意 - 岡本太郎
若さというのは、その人の青春に対する決意できまります。いつも自分自身を脱皮し、固定しない人こそ、つねに青春をたもっているのです。大きく歴史的に見れば、若い新しい世代が、古い時代をのり越えていくことはたしかですが、個々のばあいは、かならずしもそのとおりには当てはめられません。くれぐれも肝に銘じてほしいのは、年功が無意味であると同じように、また、たんに年齢的な若さも、決して特権ではないということです。
→ 安藤忠雄氏も講演で「何かに情熱的である時はいつだって青春だ」と仰っていたのを思い出しました。自分の中に「いくつだから」とか年齢の壁を作る必要はないんですよね。
2004年01月14日
野生の精神 - ゲーリー・スナイダー
倫理と美学は深く絡み合うものだ。芸術、美、そして技巧は常に言語や精神の自己組織化していく『野生』の側面に依存してきた。人間の抱く場所と空簡に対する考え、現代の私たちの流域に対する深い関心はモデルであり比喩となる。私たちの希望は相互に浸透し合う領域を理解し、私たちがどこにいるかを学び、そうすることによって地球全体を視野に入れたエコロジカルなコスモポリタニズムの生き方を確立することにある。そのためには、身軽に、慈悲深く、高潔さを保ちながら心は激しく、『野生の精神』の自らを律するエレガンスを持って生きていきたまえ。
→ アメリカを代表するビート詩人でありエコロジストであるスナイダーの提唱。エコロジーは概念化してしまったけど、自然を理解し、それを敬うことによる自然な行動の結果にすぎないのかもしれない。
2004年01月09日
情報デザインの基本概念 - 須永剛司
枠組みを組み立てる基本概念は『形』と『視点』である。『形』とは『かかわり合い』そのものであること。着目すべきは『形』を世界に見出している私たちの『視点』だということ。そして、デザインの問題を『自分』の存在と結びつけることによって、概念が初めて了解可能になることだ。ここから始まるデザインの理論づくりは、私たちの社会にあるものごとの形づくりと社会そのもののあり方を大きく変えていく力になるはずである。須永剛司、『情報デザインー分かりやすさの設計』、p73、グラフィック社
→ つくる人と使う人が生き生きとつながるために考えなければならない『形』と『視点』。普段何気なくつくるものごとに、それの使い手にとって本当に価値のある意味を持たせているか、自問する姿勢が大切ですね。
2004年01月08日
FIRST THINGS FIRST
われわれはいまよりもっと有益でしかも長続きするようなコミュニケーションの形をとった、いままでとは逆の優先順位というものを提案する。それは商品のマーケティングを離れて、新しい意味を探し、そして見つけることへとわれわれの考え方を変えることである。議論の幅が狭くなりすぎているのを、大きく引き延ばすべきである。消費者主義があまり追求されずに進んでいるのを、これまでと違った視点から考え直すことが必要である。それは、ある部分、視覚的な言語とデザインの持つ資産によって表現されるべきものだから。FIRST THINGS FIRST 2000、『広告』2000/3、p62、博報堂
→ デザイナーの社会的責任の自覚を訴える2000年のマニフェスト
FIRST THINGS FIRST 2000から抜粋。ジョナサン・バーンブルックをはじめ1000名を超えるクリエーターが署名した。デザイナーとして仕事を始めて2年。最近特に意識してます。
2004年01月07日
「働き方」が変われば、世界は変わる - 西村佳哲
結果としての仕事に働き方の内実が含まれるなら、『働き方』が変わることから、世界が変わる可能性もあるのではないか。この世界は一人一人の小さな『仕事』の累積なのだから、世界が変わる方法はどこか余所ではなく、じつは一人一人の手元にある。多くの人が『自分』を疎外して働いた結果、それを手にした人も疎外する非人間的な社会が出来上がるが、同じ構造で逆の成果を生み出すこともできる。
→自分がたった今している仕事は社会の一部分。そこに、「自分」を疎外せず、「自分」を凝縮する働き方をしていれば、充実感が得られるのだろう。
2004年01月06日
アジルな競争者
アジルということばは、単に速いだけでなく、知的に俊敏であることを意味します。(…)アジルな競争者たるには、企業は持てる知識を、刻々と変化する機会の具現化に活用しなければなりません。
→ 10年前にアメリカで注目されたキーワード「アジリティ」。今不景気の日本の企業、組織そしてそれを構成するメンバーにとって、「知的に俊敏であること」=「持っている知を、グッドタイミングで有効活用できる」ことはとても大切だなーと思いました。
2004年01月05日
デザインの仕事の面白さ - 三宅一生
デザインの仕事は、じつに面白い。私がこの仕事をなんとかめげずにやってこられたのは、『デザインに悲しみはそぐわない。デザインには希望がある。そしてデザインは驚きと喜びを人々に届ける仕事である』というまことに単純素朴な理由からでえある。三宅一生、『
Dd』2003.11、p34、マガジンハウス
→ 2004年一発目の名言は三宅一生です。目先の辛いことばかりにめげ続けずに、その先のぼんやりとした、でも確かな希望に胸を躍らせていれたら、幸せなのかも。
2003年12月25日
情報の美 - 原研哉
『美』という概念をサイエンス、テクノロジー、コミュニケーションとのいった概念の脇に置いてみる方が新たな考えや思索を生み出せるのではないかと思うのです。
私たちは、この『情報の美』にアクセスしていくために3つの考え方のルートを設定しています。一つ目は『分かりやすさ』です。分かりにくい情報というのは困るわけですから、分かりやすさというのが情報の品質の本質だと考えています。2番目は『独創性』です。いまだかつて、誰もが表現し得なかったような方法である情報が表現された場合には、人の注目をいざない、情報に力を与えていると言えるでしょう。3番目は『笑い』です。笑いが発生している時には、非常にレベルの高い相互理解が発生している状況であると理解できます。原研哉 『
アイデア』,2004.1、p75、誠文堂新光社
→「笑える」ためには、相互理解できるほどの高度なコミュニケーションが前提条件だったとは、灯台もと暗しでした。確かにそうなんですな。
2003年12月22日
小数点のように、無数に眠っているアイデア - 原研哉
これまでのデザインが整数の連続の発想の中で行われてきたとすれば、私はその間にある小数を提案してみたい。10の次に11をもってくるといったような発想ではなくて、そこに「9.8」とか「10.1」といったものを提案していきたい。小数点のように、日常のなかに無数に、デザインのアイデアは眠っているのではないか、そういうところに新しいデザインの可能性があるのではないか、そういうものを掘り起こしていくのも、情報の深まり、深化ではないかと考えているわけです。
原研哉 『
アイデア』,2004.1、p77、誠文堂新光社
→同じ事象でも、意識や見方を変えるだけで、アイデアは無限化する。なるほど、小数点とは素晴らしい例えですね。
2003年12月18日
グラフィックデザイナーとは - QUENTIN NEWARK
すべてのデザインは、どんなに最先端のものであっても、既存のパターンや決まりごと、形、様式などに従っているものだ。これらのパターンを骨組みとして構成されるのがビジュアル言語である。…ビジュアル言語による表現は、そこに意味を持たせたいのであれば、その言語の文法を守らなければならない。
つまりグラフィックデザイナーとは、つねに手持ちの素材に意味を持たせ、ビジュアル言語の形式や決まりごとを通してそれを人々に提示する人のことである。
→シンプルな定義ですが、何に関しても「意味」を持たせるのが一番難しく、やりがいのあることですね。
2003年12月16日
先走る - 青木克憲
前倒しに進めていく最大のメリットは、プレゼンしたものが通れば、そのまま入稿できるということ。修正が入ったときも、余裕を持って直しが入れられるし、仮に使えなくなっても、暖めておいて、次の機会に活かすことができる。だからダメでも、デメリットがないんです。
青木克憲、『デザインの現場』2002/12、p005、BSS
→先走れるほどの自信あるアイデアと、クオリティの高さがしっかりあれば、デメリットはないんです!
2003年12月09日
デザイナーの判断 - 黒崎輝男
もちろん、デザインも見ますが、それ以前に見るのはデザイナー自身のコミュニケーションの仕方です。メール一本でも、タイトルの付け方や送るタイミング、内容や文章の構成を確認することで、デザインやモノの後ろにある生活や文化がおよそ分かります。
NIKKEI DESIGN 2003/11 p94、イデー社長・黒崎輝男
→デザイナーだけのコトでなく何の仕事においても、そういった基本的なモラルの高さが「いい仕事」に繋がるんだと思う。
2003年12月08日
自分のVOICEを見つける - ダン・ワイデン
『失敗の自由』を与えること、これはとても大事なことだ。失敗に向かって突き進むことが、自分のVOICEを見つける唯一の方法なんだ。そして、自分のVOICEを見つけだし、それを自分のものにすることが制作者にとって何より大切なことだ。
なぜなら、世の中の人は誰も企業の話なんて聞きたいと思ってないし、消費者調査の結果が聞きたいなんて思わない。商品の話を聞きたくはない。人は誰か、“個人”が語りかける思いに耳を傾けるものだ。広告批評 2003/11 p97、
ワイデン+ケネディCEO、2003年度カンヌ国際広告賞審査委員長
ダン・ワイデン
→失敗を繰り返し、たどり着いた自分の声、自分の言葉にのみリアリティが宿り、そこで初めて押しつけるだけじゃない「伝わる」メッセージになるんだな。
2003年12月04日
組織の創造性とオフィス空間
自分たちは今どのような状況にあるのか。これからどこへ向かおうとしているのか、そのために何を考え、どのように行動すればいいのか。そうした問に答え、組織の文化とビジネスの行方を認識した上で、より望ましい行動を触発し価値観の形成を支援できる空間の中に自らを置くこと。組織の創造性を求め、ビジネスの成功につなげようとするなら、オフィス作りの第一歩はそこから始まるのではないだろうか。
→オフィスはその会社の「機能」が集約された有機的なカタチだ。素敵なカタチにも、悪趣味なカタチにも、フツーな(そして、普通すぎて居心地の悪い)カタチになるのも、そのフレームワークや導線次第だ。
2003年12月02日
ブレインストーミングの効果 - トム・ケリー
ブレインストーミングは、チームのメンバーに輝く機会が与えられるのだ。これは友好的な競争である。自分の才気や機知を同僚の前で披露したくない者なんているだろうか? … 自由なスタイルのイノベーションが理解できれば、当然、あなたは行動する人々の味方をするようになるだろう。実のところ、熱意にあふれた「ホット・グループ」には引っ込み思案な人の居場所はない。新しくやってきた人がクールなアイデアをだしてブレインストーミングを刺激すれば、私たちは注目する。この参加者はそのとき、尊敬と権限をかちえるのだ。
→ブレストは一つの課題解決の方法ですが、副次的にグループに友好的な競争をもたらすと。国連とかサミットとかもIDEO式にしたら、世界はもっとよくなるのかな。
2003年11月28日
つながれ!
これからは、すすんで大勢と混じり合う覚悟がなければならない。供給過剰の社会では、あなたが知っている人たちを見ればあなたの実力が分かる、というものだ。これを事実として受け止めなければならない。あなたはひょっとして世界で一番頭のいい人間かもしれないが、誰もそれに気づかなければ、あなたはただの凡人と同じだ。個人だけで競争すること=あなたは何を知っているか×あなたは誰と知り合いか。連中はあなたの能力にてこ入れしてくれる。あなたがカムアウトし目標を達成する手助けをしてくれる。
『
ファンキービジネス』(ヨーナス・リッデルストラレ&シェル・ノードストレム著、博報堂、p.360)
→知識とスキルのコラボレーション社会へようこそ。ワクワクです。
2003年11月26日
『いい仕事をしろ』という前に - 西村佳哲
『いい仕事をしろ』と言う前にすべきことがあるし、それを言ったところで始まらない。そもそもいい仕事をしたいのだから、そのための疎外要因を取り除き、力づけるのがマネージャーの仕事なのだ。
→気持ちよく働けるアフォーダンスを作る。気持ちよく働くための一工夫を、みんなが気づかないところでやってるのって素敵だな。
2003年11月21日
深呼吸 - 原研哉
いつもより少し深く息を吸い、そして吐く。これを深呼吸といいますが、社会もデザインも深呼吸が必要な時期を迎えているのかも知れません。デザインとは最適なものをつくる喜びであり、最適なものを使う喜びを味わうことです。そしてそれを通して自分たちの生活の品質に対する認識を深めていく営みです
→グッドライフな生活は、単なる生活水準が高いものではなく、「自分たちの生活の品質」が高いものと言うと、伝わりやすいのかな。商業主義の裏側のさまざまな意味での搾取に、盲目的なデザイナーや消費者にならないために。
2003年11月20日
地域通貨が世界を変える - マイケル・リントン
国民通貨だけが唯一絶対のものとして今後も盲信されつづける限り、地球は破滅に向かうしかないだろう。マルチなバーチャルマネーのシステムが普及することによって、完全雇用が実現し、資源の再利用が容易になり、社会的平等が促進され、国際間の緊張は緩和されるだろう
マイケル・リントン カナダの地域通貨LETSデザイナー広告 2000/11+12 p28、『21世紀への広告的課題』
→国民通貨だけが唯一なのが普通だと思ってた。ボランティアでイイコトをしてその対価を無理に断る必要はない。要はその対価をどう循環させるかだ。社会の流れとはお金が最も端的に表している、循環そのものなのかも。
2003年11月19日
ファンキー・リーダーは教育的であれ
教育とは感情や魂に響くものだ。さらに言えば、個人的なものだ。
『
ファンキービジネス』(ヨーナス・リッデルストラレ&シェル・ノードストレム著、博報堂、p.336)
→当たり前のことだけど、見落としがちなこと。
2003年11月18日
プロジェクト2015 - トム・ケリー
10年先のことを自由に考えることによって、私たちは新しくて素晴らしいアイデアのパレットを手に入れる。それが、このあと何年かのあいだ私たちのインスピレーションの源泉となる。おまけに、この作業は非常に楽しい。あなたの目標にあったスケールで、是非同じような探検をしてみてほしい。もちろんいままでに想像もしたことがないようなスケールでやってみてもいい。外に出て、あなた自身の未来を何かつくってみよう。いますぐに。
『
発想する会社』p.313、トム・ケリー&ジョナサン・リットマン著、早川書房
→未来に属するインフィニティには「自由による制限」とは違う楽しい無限の自由がある
2003年11月17日
カルチャージャマーが世界を変える - カル・ラスン
これからは、人々が情報をめぐる解放・民主化を訴える時代だと思うんだ。おこりつつある新しいムーヴメントは、人種や性差や自然ではなく、文化に関するムーヴメントだ。これまで文化というものは上にいる人間がコントロールするものだった。でも、これからは文化を発信してコントロールするのは私たちだ。
カル・ラスン 米雑誌ADbusters編集長、広告 2000/11+12 p20、『21世紀への広告的課題』
→約3年前の先見的な提唱。blogなどを通じてカルの発言はリアルな体験になった。
2003年11月15日
スタイル
問題はスタイルだ。スタイルといっても日本語のこの言葉がかもしだすニュアンスはひとまず忘れなければならない。スタイルがイケてるかダサいか、ではない。ダサいスタイルなんて語義矛盾。そんなものはそもそもスタイルじゃない、というわけなのだ。君にはスタイルがあるか、ないか、のどちらしかない。STUDIO VOICE 2002/2/p.18 『グラフィティの未来形』
→スタイリッシュの意味合いも変わってくるね。
2003年11月14日
MOVEMENT
アクションがあれば必ずリアクションがある。繋がっているというのは、きっとそういうことだ。移動のもたらす緊張感や、そこから生み出される臨場感なくして、どれほど多くのものが得られるのだろうか。人の移動(MOVEMENT)を必要としない装置(MOVEMENT)は、僕たちの身体感覚に停滞をもたらす。何もしなければ、何もおこらないのだ。STUDIO VOICE 2001/6/p.61 『POETIC HORIZONS デザイン・グラフィック・アートの世界線』
→世界は回るのと同様、事象は循環する。その緊張感と限りない機会こそイマジネーションの根元だ。
2003年11月12日
時代の新しい美学 - 馬場正尊
これからも新しいモノはつくられていくし、それによるチャレンジや新しい実験や技術がなければ発展はない。それをダイナミックに展開させるのもデザインの力だとすれば、ちょっと発想を変えてみること、小さなワンアクションを起こすことで、物事や状況にアフォーダンスを与える、それもデザインの潜在力だ。それらは等価に重要なことだということに気がついている。
→デザインとはアフォーダンスを与えることだとすると、とても素敵な職能ですね。
2003年11月11日
アフォーダンスという概念
私たちが行動したり生活したりする空間、すなわち環境は、その中で可能となる「行動を特定」していると考えられます。その環境は私たちを包み込む空間にあるだけでなく、モノにもあると考えられます。その考え方を展開させれば、逆に私たちの行動や行き方が見えてくることがわかります。
『インタラクション・デザイン・ノート』(鈴木明著、神戸芸術工科大学大学院、p43)
→僕らが気持ちよいと感じるのは、感情や行動がアフォーダンスとマッチしているから。自然なアフォーダンスを意識的に作ることが、場のマネジメントなんだろう。
2003年11月10日
頼まれもしないのにする仕事 - 西村佳哲
デザインの分野に限らず、私たちは企業という母体からの乳離れを始めているのかも知れない。GDPの数値が、豊かさの実感や人生の充実感に直結するわけではないことは、既に知っている。自分を満たす、自分事としての仕事。
もちろん、会社で働くことと個人で働くことを、対立的に捉える必要はない。要は、仕事の起点がどこにあるか、にある。私たちはなぜ、誰のために働くのか。そしてどう働くのか。「頼まれもしないのにする仕事」には、そのヒントが含まれていると思う。
→デザイナとは極めて個人的なアイデアを具体的に提案する人だったという歴史に触れて。モチベーションが何処に由来するかで、仕事の意味が見えてくるのだろう。
2003年11月05日
気づかないインターフェース - 深澤直人
ユーザーは気がつかないことが多いかもしれませんが、押し付けがましくなく、必要なときに何かが感じられるインターフェースは、常に存在を表しているインターフェースより洗練されていると思います。
『情報デザイン - 分かりやすさの設計』 (IID著、グラフィック社、p.106)
→気づかないユーザーが一番贅沢なわけですね。
2003年11月04日
オレ会社
オレたちは、自らに商品価値を持たせるためにブランド化、パッケージ化、マーケティングがなされなければならない。あなたという商品はどんなスローガンの下で販売されるだろうか?
『
ファンキービジネス』(ヨーナス・リッデルストラレ&シェル・ノードストレム著、博報堂、p.358)
→自分を競争社会の一商品と捉え、自分の市場戦略を下に行動するだけで、毎日のルーチンワークさえもその濃さがかわってくるよーな。オレ会社設立に乾杯!
2003年10月31日
ホット・グループ - トム・ケリー
活気あるプロジェクト・チームは、明確な目標と厳しいデッドラインのもとに結成される。ホット・グループは目標が達成されたら解散し、翌週にはまた別のドラゴンをやっつけるべく別のグループが結成されるのを心得ている。…(中略)…IDEOでは、情熱は現在に注がれる。情熱とは素晴らしいプロジェクトに取り組むことに向けられる。大切なのは現在なのだ。
『
発想する会社』(トム・ケリー&ジョナサン・リットマン著、早川書房 p.82)
→その行動の背景にあるのは、責任ではなく、情熱の方が生き生きできますな。
デザインのできること - 深澤直人
フリーランスのデザイナーが存在する一番の意味は、これまでの企業の習慣ややり方にとらわれない活動を通じて、企業を変えることができることだと思っています。1つの製品が出たことで、既存のほかの製品のイメージすら変えてしまうことだってある。本来デザインとはそこまで力のあるものなのです。
→ WEBにだって(WEBだからこそ)、そのパワーがあると思います!