
写真家に興味がある。その人はなぜそんな風に世界を見るのだろう。その瞬間シャッターを切るのだろう。自分だけに見える世界を何のために、誰のために撮りためるのだろう。ひょんなことから、写真家・大和田良さんにお会いできると聞いたとき、ぜひそのことについて聞いてみようと思った。
大和田さんは、2005年にスイス・エリゼ美術館が選ぶ『明日を担う写真家50人』("ReGeneration.50 Photographers of Tomorrow, 2005-2025")にも選出されるなど、今注目の若手写真家だ。今年4月には初の写真集『prism』を発表、BEAMSのギャラリーで個展「Strings of Life」を行っている。海外の雑誌に作品を提供したりする傍ら、日本でも広告や雑誌など、様々なジャンルで活躍中である。

『Prism』が出来るまで
写真家なら誰しも写真集をつくるものだろうと思っていたが、「写真集にはまったく興味がなかった」と彼は言う。「額に入っている、一枚での物質感、存在感のほうが好きで、自分の作品はその伝え方が一番合っていると思ってた。」
撮りためては展示していくスタイルに変化が見えてきたのは昨年。「子どもが生まれて、今までのあり方を残しておくべき時なのではないかと強く感じたんです。それ以前と以後で、自分の作品が明らかに変わってきていたから。」そうして出来上がったのが『prism』だ。
「子ども以前」と「以後」
季節が突然変わるように、昨日までとは世界の見方ががらりと変わり、街も人も違う色を帯びる。世界が突然新しい顔を見せる。悲しみであれ、幸福であれ、誰にでもそんな瞬間があり、出来事があるだろう。大和田さんにとってそれは、子どもという存在の誕生だった。
「子ども以前」と「以後」に作品を分けるとすると、『prism』は「以前」の作品で構成されている。その象徴が、写真集中ほどにある、大和田さんの指を握り締める赤ちゃんの写真だ。指にピントが合っていて赤ちゃんの顔はぼけている。
「これは生後1週間の写真なんだけど、これがその“以前の感じ”の最後だったと思います。生後2週間を過ぎたら、子どもという存在の実感がものすごく湧いてきて、それ以前とはまったく違った世界の見え方がするようになりました。」
最近の作品を拝見すると、その新しい世界の見え方は明らかだ。希望に満ちている。光に満ちている。同じカメラで同じ人物で、こんなにも見え方が変化するのか、と感動的ですらある。

ヨーロッパと日本の評価の違い
大和田さんは日本よりもむしろヨーロッパで評価が高い。なぜヨーロッパで作品を発表することにしたのか、日本との違いは何だろうか、聞いてみた。
「最初の頃は『デジタルでいじっているから、これは“写真”じゃないね』という言い方をされることが多かったです。日本はやはり特殊な文化で、誰かがいいと認めたものを認めていくシステム。その評価を待ってたんじゃどうしようもない。だからヨーロッパに行ったんです。ヨーロッパはアートを買う層もきちんと存在し、評価に関してはシンプルでフェア。それで、少しずつギャラリーなどで作品が認められるようになりました。」
光や空気感など、時に極めて日本的であり、また普遍的でもある大和田さんの作品。海外での評価は、“美しさの解析行為”という風に評されることが多いという。
「これがなぜ美しいか?どう美しいのか?という、“美”ということに関する新しい価値観を探る行為という風にとらえられていることが多いですね。」
ティルマンスと比較されることも多いという彼の作品は、圧倒的な自然美や、ポロポロとこぼれ落ちそうな小さくて静かな美しい瞬間で満ちている。

「写真でなにができるだろう」という自分への問いかけ
大和田さん自身による『Prism』のあとがきには、こう記されている。
「僕は写真でなにができるだろう。」
まっすぐな問いを自分に、世界にぶつけている。「その問いをいつも自分に課しながら撮り続けていきたい。自分の行いを還元していきたい。こういう美しいものがあるんだ、という世界の新しい見え方を示していきたい。」
自分の写真があることで、よりたくさんの人の生活がほんの少し豊かになればいい。そんな願いを聞き、改めてページをめくると、さっきは見えなかった新しい色が、光が見える。いくつもの感情や顔を持つ彼の写真。
写真集とは、一人の人間の自分史であるがゆえに個人的である。その点は揺るがないだろう。だけどそれは個人を超えて、また一つ、新しい世界の見え方を私たちに教えてくれるのだ。
( 2007 AUG. in Ebisu )

